向日神社

京都府向日市向日町北山65

別名、向日明神。

祭神は、 向日神、火雷大神、玉依姫命、神武天皇。

元々は向日山に鎮座する「向神社」(上ノ社)、「火雷神社」(下ノ社)という別の神社であった。

「火雷神社」は名神大社「乙訓坐火雷神社(乙訓神社)」の論社(他の論社は長岡京市の角宮神社)。

向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まる。

718年、現在地に遷座。

火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山背国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まる。

継体天皇が乙訓宮を造った518年頃の創建。

718年の社殿新築にあたり玉依姫命と神武天皇を合祀。

784年、長岡京に遷都、その中心となる長岡宮は向神社の東の麓に作られた。

火雷神社宮司は1221年、承久の乱の際に後鳥羽上皇側について敗れると、京都府福知山市にあった荘園「六人部荘」に隠れた。

1275年、向神社が火雷神社を併祭、向日神社と社名を改めて付近一帯の総鎮守となった。

当地はかつて西岡と呼ばれ、土一揆が行われる際には当社で終結してから京都に向かっている。

東京の明治神宮の本殿は当社の本殿がモデルとされ、当社本殿の1.5倍のスケールに拡大した設計となっている。