保田與重郞生家

奈良県桜井市桜井784

文芸評論家。

別名、湯原冬美。

1910年生まれ。

旧制奈良県立畝傍中学校、旧制大阪高校、東京帝国大学美学科美術史学科卒業。

「コギト」、亀井勝一郎らとともに「日本浪曼派」創刊同人として活躍。

マルクス主義から後に、ヘルダーリンやシュレーゲルを軸としたドイツロマン派に傾倒、近代文明批判と日本古典主義を展開。

処女作「日本の橋」で第一回池谷信三郎賞を受賞。

大東亜戦争を「正当化」したとされ、公職追放。

京都の鳴瀧に山荘「身余堂」を構え、以後を過ごした。

佐藤春夫は「そのすみかを以て詩人と認める」とし、東の詩仙堂と並べて「西の身余堂」と絶賛。

川端康成は「詩仙堂よりも保田邸のほうがずっと優れている」と評価。

滋賀県大津市の義仲寺の再建に尽力。