母里太兵衛生誕地

兵庫県姫路市飾磨区妻鹿316

現在の松原八幡神社の元宮八幡神社内に石碑が建立されている。

1556年、当地付近で母里友信が生まれた。

別名、太兵衛、多兵衛。

母里友信は黒田孝高(官兵衛)率いる黒田家家臣の中から選出された「黒田二十四騎」のうち、特に優れた8人を指す「黒田八虎」の一人として活躍した。

性格は、豪傑、忠義に厚い。

太兵衛の代名詞は「黒田節」。

「黒田節」とは賤ヶ岳の七本槍、七将の一人として活躍した福島正則の元へ使者として訪れた太兵衛。

正則は太兵衛に酒を勧めるも断り続け、「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」と勧め、正則が黒田の家名を汚す発言をしたところ、太兵衛は一変し、大杯の酒を飲み干した。

その際、褒美として名槍「日本号」を頂戴したという逸話があり、「黒田節」の一節「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」として唄い継がれている。

また、兵庫県の加古川市稲美町にも母里という地名があり、当地が本貫とされる。