二条城撮影所跡
京都府京都市中京区西ノ京北聖町50−1
1910年、日本活動写真株式会社の前身にあたる横田商会が二条城撮影所を開設。
横田商会は当時、輸入映画を上映する映画会社であった。
日本映画の父と呼ばれる牧野省三が、歌舞伎役者の尾上松之助らとととに忠臣蔵を撮影するなど、数多くの作品を制作。
2年後、御前通一条付近の法華堂撮影所に移転。
現在、京都初の撮影所・日本映画発祥の地として語り継がれている。
二条城撮影所跡
京都府京都市中京区西ノ京北聖町50−1
1910年、日本活動写真株式会社の前身にあたる横田商会が二条城撮影所を開設。
横田商会は当時、輸入映画を上映する映画会社であった。
日本映画の父と呼ばれる牧野省三が、歌舞伎役者の尾上松之助らとととに忠臣蔵を撮影するなど、数多くの作品を制作。
2年後、御前通一条付近の法華堂撮影所に移転。
現在、京都初の撮影所・日本映画発祥の地として語り継がれている。
平安京 式部省跡
京都府京都市中京区二条城町 美 福 通
平安時代、当地に式部省が設置。
国家の重要な省庁である八省(中務、式部、治部、大蔵、刑部、宮内、兵部、民部)の一つ。
政務や事務を担当する文官の人事を担当。
文官の養成、勤務評価、賞罰の他、朝廷内の儀式も監督。
平安京民部省跡
京都府京都市上京区主税町
平安時代、当地に民部省が設置。
国家の重要な省庁である二官八省(中務、式部、治部、大蔵、刑部、宮内、兵部、民部)の一つ。
民部省は財政・租税一般を管轄。
被官として中央財政の収支を計算する主計寮と財政収支を監督する主税寮があった。
発掘調査では、「主税」銘の墨書土器も出土した。
二条公園
平安京跡・京都所司代千本屋敷跡
京都府京都市上京区主税町910−40−964
二条公園は広場や遊具などが設置され、市民の憩いの場として親しまれている。
かつて平安京の太政官と宮内省、園韓神社が鎮座していた。
宮内省西面の南北築地基底部(地業跡)や溝とみられる遺構のほか、平安時代前期の遺物築地包含層からは当時の瓦や土器が発見。
1153年、古くから伝わる妖怪で怪鳥「鵺」がいた。
「平家物語」で登場する鵺は、顔は猿・胴体は狸・手足は虎・尾は蛇のような姿。
近衛天皇は困り果てていた。
侍臣の源頼政に射られた場所は、二条公園の付近という伝説も。
鵺の死骸から抜き取った矢を洗ったのが、「鵺池」であったとか。
公園内の鵺大明神では鵺を祀る。
佐々木酒造
京都府京都市上京区日暮通椹木町下ル北伊勢屋町727
日本酒を製造販売する酒蔵。
芸能界で活躍する俳優・佐々木蔵之介の実家。
1893年、佐々木治郎吉が「佐々木酒造本家」として創業。
代表銘柄は「聚楽菊」。
1987年、 「佐々木酒造株式会社」として法人設立。
代表銘柄は聚楽第、聚楽菊、聚楽、古都、西陣、平安四神、まるたけえびすなど。
日本盲唖教育發祥之地
京都府京都市上京区猪熊通下立売下る西側
京都府京都市上京区下石橋南半町53−2
1873年、上京区十九組区長の熊谷伝兵衛は、隣家の唖姉弟の教育を待賢小学校に依頼。
教師の古河太四郎らが開設し、わが国最初の聾唖教育が開始。
後に移転し、盲唖院と改称。
平安京創始待賢門跡
京都府京都市上京区猪熊通下立売下る西側
京都府京都市上京区下石橋南半町53−2
待賢門は平安宮外郭東側にあたる。
五間戸三間、瓦葺で棟に鴟尾を置く。
門は大宮大路に面しており、宮内に入る時には、この門で牛車を降りることが多かったとか。
京都府庁舎
京都府京都市上京区下立売通新町薮之内町
地方公共団体である京都府の行政機関(役所)。
1869年、東町奉行所跡から移転。
1871年、二条城にて開庁。
1885年、京都中学校の校舎に移転。
旧本館は重要文化財に指定。
敷地内には京都府警察本部、文化庁京都庁舎も。
進々堂 府庁前店
京都府京都市上京区釜座通椹木町下る夷川町375
食パンや総菜パンなどを製造販売する専門店。
店内はテーブル席があり、テイクアウトも可能。
1913年、創業。
創業当時、神戸市から良質なパンを取り寄せることが多かった。
内村鑑三の弟子で創業者の続木斉は1924年、日本人初のパン留学生としてフランスに渡り、本格的な国産フランスパンを製造開始。
1952年、日本初の包装食パン「デイリーブレッド」発売開始。
しば漬けカレーパン すぐきピロシキ