ブログも随分間が開いたので簡単に振り返る。父は5月に倒れて救急搬送された病院から7月末に転院。家族としては一縷の望みをかけてリハビリ病院を希望、担当の先生はほとんど見込みがないからと療養病院をお勧めだったが、運よくリハビリ病院に移ることができた。7月末転院の際はコロナ禍ではあるが家族付き添いということで、倒れて以来初めて父に会うことができた。ストレッチャーに乗せられた状態で対面。私たち母娘が声をかけると目を覚まして、こちらを見てくれて、わかってくれているようではあった。細くなった足を触ったり、肩をもんだりと、短い時間ではあったが触れ合った。その時点では、どれくらいリハビリが可能なのか、半信半疑であったが、数週間後理学療法士の方から歩く練習のための装具を発注するよういわれて驚いた。そして、リハビリの成果で、足が曲げられるようになり、椅子に座れるようになった。調子のよいときは、うなずいたり、首を振ったりできるようになり、痛い、寒い、という発話もあり、あー から、あいうえおが言えたり、ということもあったそうだ。そして、退院後の施設を探すことになり、経鼻栄養ということで選択肢が限られる心配があったが、比較的実家に近い所に施設がみつかり、申し込んだ。今日その施設が父の状態を確認するための面談で、家族同席できるとのことで、母をつれて病院へ行ってきた。病院の会議室には車いすに座った父がいた。この病院に入院した時はストレッチャーに寝ていた、ということを思うと、リハビリの成果があったんだと感慨深い。理学療法士さん達に感謝だ。でも、リハビリ後の疲れから、眠そうに半ば目を閉じていた。私と母が声掛けしたが、目をあいて、すぐまた眠りそうになっていたので、打ち合わせのほうをすすめていた。打ち合わせも終わるころ、また声掛けをすると、今度はぱっちり目をあき、覚醒した感じがし、こちらをしっかりみてくれた。母が手を触り、理学療法士さんが「握ってください」と声掛けすると握ってくれた。右手も上げて見せてくれた。母は、「私のことわかるか?美女やで」といつぞやのセリフ。すると、父が笑った。私が「美女って誰が美女やねん」とかぶせると、それについても笑った。やっぱり言ってることわかってるんだ!前の病院では、言ってる内容は理解できないはずだから、反射みたいなものです、って言われたけど、そんなことなかったんだと思う。