6月も先週で終わり7月と言う梅雨と夏の境目の月に入る訳ですが、今日は先日書物を整理して居た時に眼にした一寸お洒落な文面を紹介する(結構!此の当時頭が回ったんだな~ぁと自負!)着物から洋服へと変わって行った時代に日本人の服装は明治に入ってから着る人が少しずつ増えたのですが、ひとつだけ中々定着しないものが有ったのだそうです。それは……「女性の下着」です。此れは冷やかし半分等では無く立派な歴史感覚の中のセンスと言って欲しいです。江戸時代まで、男性は下着として”ふんどし”を着けて居た事はご存知でしょうが、女性は?と言うと実はパンツの様な下着は身に着けて居なかったと言われています。但し、腰巻や襦袢は巻いて居た物の、後は何も着けずに居たそうです。それが当たり前の時代だったのかも知れない。明治に入っても西洋風の下着は存在して居たのですが当時の女性には浸透しなかったそうです。理由は、体を締め付けるし今まで通り何も身に着けない方が快適だったのかも知れませんね。ですが、ですがですよ!或る時日本女性が下着を身に着け様と決心する決定的な事件が発生したのです。事は昭和7年に起こった白木屋の火災です。かつて東京市の日本橋に在った日本橋白木屋百貨店……後の東急日本橋店(1999年に閉店)で歳末の大売り出しの時期に大きな火災が起きてしまった時の事!逃げ惑う従業員やお客様達・・・・・・・若い女性達も当時はロープや命綱を使って建物の上から降りて来ましたが、風が吹くと着物が捲れ下半身が露出してしまい、それを必死に片手で抑えて居る内に片方だけでは体重を支えきれなくなり、地上に転落してしまったそうです(此れって本当のお話ですよ!)下着を身に着けて居なかった為に着物がめくれる羞恥心から死傷者が出た事により当時の女性達にも下着を身に着ける事に抵抗感が無くなり世間に大きな衝撃を与えました。有事の時の為に下着は身に着けて置くべきだと言う声が大きくなりそんな教訓が、此の火災を切っ掛けに叫ばれ女性は”下着は命を救う”と考えたらしい!(此れは私の作り事です!)その後日本女性に下着は定着し現在の様な一部特殊な下着も誕生したと言うお話!従って、何が幸いするか判らず人間”感じて”動いて”何歩!どんな事にも、切っ掛けと言うものを大切に考え行動すべしと言う教訓か(笑い