ご乱心!在る俳句士が”岩に染み入る蝉の声”と東北の在る所で一句読んだと聞き及びますが、今の日本の閉塞感が其処に当て嵌まるのには驚きと悲しみを覚える。私見ですが、岩に染入る位何かに没頭してご覧!岩に染入る程自身が動いてご覧!岩に染入る程本音で語ってご覧!と言う声ではなく”音”が私の小さな耳に走馬灯の様に聞えて来る。 矢張り物事の”仕組み”と言う大切な蝉の声は現代に必要な要素として残すべきなのか?