昨日東京オフィスへ出かけた時の出来事!電車は季節柄結構混んでいて私の前には20歳代の若者同士楽しく会話をしていたと思いたかったのですか、耳をダンボウにして聞いていると(ダンボウでなくとも前なので聞こえる)彼らの会話で驚く事は、人様の前で語る様な語源ではない言葉で簡単に会話している姿。彼らの会話と言うものはその場凌ぎの会話が多く、確かに言い換えれば大げさ!拡大解釈等少し間違うと大変な語源と言う事を判っていないで使用していると言う事、その時私の脳裏を過ったのは、”誰でも好かった”と言う、最近報道等で盛んに流れている、人を傷付けた後の言い訳がましい語源であり、何か虚しいし思いがしたのですが、そんなに会話も合う人達だけ・遊びも自分に利害がない人達だけ・と言う固定観念で固まってしまうと、自己限定の人間像が出来上がり、挫折感を常に味わい生きて行くのかと思った時、寂しい思いと言うよりも変えられない現実を悔んでならない。