物事余り突き詰めて考えるべきではないのですが、私の性格の事を記載すると人一倍短気な面が見え隠れしていると自身の分析では思うのですが、その姿は少しずつ無くなり余り怒らなく(叱らなく)なって来た自分が時として怒る事も(叱る事も)必要な事と思いつつ、会話や動きの中で色々な方達と交差している姿に何か”こっけいな”自身の姿を連想する。人生80年と考えた時永い目で見れば何回怒る(叱る)行為をするのであろうか?何って考えていると時間が止まってしまうので、怒る(叱る)行為はきっと人間の生き抜いて行く過程では大した事無いひとこまと考えるべきなのかも知れない。