「ここからステップシークエンス。」とな。 | 大ちゃん大好き一番好き!

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いやいや、某のさ。

シェ―ちゃん振り付けのフリー。

一度もちゃんとしたのを

今期観ていなかったから(ごめん!)、

気になっていたのです。

不調でなければどの程度の仕事ができてるのか!と。

今、コンディション的には問題ない。

さて、完成形はどんな風か。




シェ―ちゃんといえば、超絶鬼ステップ。

シェ―ちゃんも、

「完成した暁には素晴らしいプロになっているはず。」

というようなことをおっしゃっていました。

アナの

「ここからステップシークエンス。」

の声に身を乗り出して観る。

いつ始まるのか、ステップ・・・

と思っているうちにいつの間にか終わった・・・。

「???」




結論。

某のフリーでは心を掴まれませんでした。

理由。

エレメンツはほんとに上手。

でも・・・

ただそれだけだったから。

ほぼ失敗しなかったけど、それ以上でも以下でもない。

あれなら別にシェ―ちゃんに頼む必要なし!

と思ったわ。




ちょうどステップの始まるところから

曲の雰囲気が変わる。

わたし的にはここがポイントでした。

ステップふみながら、どんな彩をなすか。




フィギュアスケートは、絵画でいうと、

たった一種類のアイテムで表現しきる世界。

しかも単色で。

例えば鉛筆一本で絵描ききる。

単色、単アイテムで、

フォルム、ボリューム、ムーブメント、

明暗、質感、色彩、感情、強調と省略・・・。

しかも自分の世界観がなければ創造的な仕事にならない。

絵画を始めたばかりの人は、明暗にとらわれて

色彩の追究やボリュームの追究にまで

眼がついていけない。

自分が何をできていて何をてきていないのか、

自分の眼がわからない。

だからついつい表面をなぞって上手に描いて、

それでできたと思ってしまう。

とにかく作品を鑑賞すること、

見えてくるまで描き続けること。

その中で、

「あ、そ~ゆ~ことか!」と、

膝ポンになる時が、来る人には来る。

そしてまた新たな自問自答。

その繰り返し。

自問自答しながら世界観が構築されていく。





音楽でも同じこと。

たった一つの楽器で全てを表現しきる世界。

例えばピアノだけで。

まず初心者は間違えないように弾く。

で、ちょっとうまくなると、

十六分音符なんかの速いところのつぶをそろえて満足する。

で、瞬発力を獲得し、

複数の鍵盤を同時に的確に瞬間的に押さえられるようになると、

強弱を整えてノ―ミスすれば格好がつく。

普通の習い事をまじめにやってればこのくらいにはなる。

しかし、

その先の音質や「ま」や呼吸感となると、

ステージはぐっと上がる。

同じフォルテシモでも求められる音質は曲によって違う。

弾き手がその部分をどんなイメージで弾くかにもよる。

岩石が落ちる音なのか、濁流の轟音なのか、

広がりのある音なのか、凝縮させる音なのか、

歓喜の音なのか、滅亡の瞬間の音なのか、

遠くのことなのか、目の前のことなのか、

自分の内部のことなのか。

ピアニシモについてもそう。

そよ風なのか、しずくなのか、

ふわっとしたシルクなのか、ふかっとしたコットンなのか、

癒されない悲しみなのか、寄り添うような慈愛なのか・・・。

さらにメトロノーム的に拍が合えばいいってもんじゃなく、

音楽のジャンルによって、

独特のグル―ヴ感というものもある。

しかも自分の世界観がなければ創造的な仕事にならない。

とにかく鑑賞すること、弾き続けること。

その中で、

「あ、そ~ゆ~ことか!」と、

膝ポンになる時が、来る人には来る。

そしてまた新たな自問自答。

その繰り返し。

自問自答しながら世界観が構築されていく。





さて、某の今シーズンのフリー。

「きまった!」という喜びの声に反して

わたしの鑑賞眼は冷めていました。

・・・。

期待はずれでした(><)ごめん!

上等なエレメンツの間を

同じ太さのフェルトペンでなぞって繋いだという感じ。

体力が回復した分、

ひょろひょろした頼りない線で繋いでいたのが

少し元気になったのはわかったけど、

それは創造的な線ではなかった。

目的別の練習曲の間を

凡庸なタッチで結んだ感は否めない。




槇村さとるさんがおっしゃるところの

「120%感が母性本能をくすぐる」

の、

「120%感」は当たってる。

なぞるのにいっぱいいっぱいと感じた。

ほんとにごめん!

それで母性本能が擽られる人は擽られるのかな?

で、わたしは満足しなかったという事実。

わかりやすいエレメンツだけでは

芸術は測れないということです。




パトリック・チャンが最近のインタで語っていた通り。

「ジャンプだけがフィギュアではない。

 フィギュアは動きの芸術なのだから。」

というような主旨。

いや、そのパトリックの演技にさえ

わたしの眼は満足したことはないんですけどね(笑)。

ごめんねほんとに(><)。

パトリックの眼以上にわたしの眼は厳しいかもな(笑)。

ついつい上から目線となるのにはわけがある。

だって、

そんな眼に育てたのは

大ちゃんのスケーティングなんだもん!




世界のトップアスリートでマーニー対決すれば、

誰が表現力あるのか一目瞭然でしょうな。

かすかなものを感じ取る感性がなければ不可能です。

感じ取った上に、自分の身体表現に染め上げる能力。

しかもナチュラルに!

がっつんがっつんしたスケーターには

不可能な領域なのかもしれない。

あるいは強すぎる人には無理なのかもしれない。

強さも弱さも抱えながら生きて行くのが人の営みだもん。




しかし、某のショートは不思議なことに(笑)

結構いい線いってるからね~!!

はかなさ漂うイーグルの妙なんか、

実は大好物なのです。

こづのイーグルとはまたタイプが違うでしょ?

張り詰めた弓のような

美しいしなりを持つこづのイーグルとは

タッチが全く違うもう一つの美。

イーグルであんなことができるなんてと思うもん。

絶品といってよいでしょう。

フリーではそんな彩(あや)がちっとも漂ってこない。

空気感がないのです。

だから、「あれは未完成なのでは?」とも思った。

しかし競技後のコメントでは

「僕もミスをしましたし。」という発言にとどまった。

彼は表現面についてはあれで完成なのだと思った。

残念でならん。



ピアノの世界では

「タタキスト」と揶揄される弾き方があります。

大きく身体を揺らしながら弾くヒトビトもおります。

その派手な弾き方はシロウト受けしますが、

クロウトからは嘲笑されます。

求める音色をナチュラルに自由自在に出すには、

乗馬をする時のように背筋をまっすぐに伸ばし、

遥か遠くを眺めるようにし、

肩を動かさず、

よく脱力し、

冷静に自分の奏でる音をキャッチしながら弾くことが大事。

かすかな音色の違いに敏感であること。

ピアニシモのこわいくらいの美しさといったら!(><)。




わたし的には

ポゴレリッチの悪魔的な音色の美しさに魂を抜かれたあの日。

あの日は衝撃的な鑑賞体験(ラジオで・・・ 笑)でした。

年代がわかる?(笑)

今はショパンコンクールも

ゆーちう部で全て鑑賞できるもんね~!

今まさに夜中にやってる。





そんなことを重ねて今期もコンペを観るだに、

わたしの琴線に触れた選手もおりましたよ。

男子では

・ジョシュア・・・ぞくぞくっとした回あり!

・デニス殿下・・・四大陸での完成度!

・ジェイソン・・・国別でトリハダ!

・ハンヤン・・・・一回ものすごくよかった!

・アモちゃん・・・いつも踊れる子!

・無良ちゃん・・・国別よかった!

・しょ~ま・・・・ほんとに楽しみ!

女子では

・リ―ザ・・・・・ナチュラルで柔らか!3Aいいぞ!

・エレーナ・・・・軽やか、柔らか!

・名前が出て来ないけどチャリティーで滑った子(ごめん!)





厳しいけど、某はわたし基準ではまだまだです。

ホールバゲージじゃなければ満足できない。

某は「意地」が滑っているように見える。

何を滑っても「意地」が前面に出てくるうちは、

それが邪魔して彩が出て来ない。

そして彩がないから何を滑っても同じになる。

それでよしなんだろうな・・・。

なんか寂しい。




そこが、わたしが某を応援しない最大の理由。

好きなスケーティングの方向ではないのです。

でも現行採点システムではそれで充分。

ムダな努力はしなくてよし。

やはり寂しい。

ちょっと下の世代の到来が望まれる。

高橋が求めた世界がそこにはある。



で、美の系譜の中にいる高橋ファンとしては、

「ふふふ、某は高橋の域には達していないな。」

と確認して余裕ぶっこいているという(笑)。

いつまでも根に持ってるようですが、

富山で大先輩である高橋に氷をかけたことと、

今回、キャプテンをないがしろにしたこととは

繋がってるなとも思いました。

「あああああ、成長してないな。」と。

それまでは特に好きでも嫌いでもなく、

普通に五輪も応援してたもん、わたし。

でも、やっぱりこういう性格は滑りに表れていたわけで。

表現に豊かさがないんだ。

何かで気づいて成長して

先輩達をリスぺできるようになったら、

彼の滑りももっと豊かなものになるかもしれない。

うわついた言葉ではなく、

心から先輩達を尊敬できるようになれば、

その時には応援する気満々です。

そうなってほしいですよ全く。

ま、今のところは、

この流れのバトンは金メダリストを飛び越えて

いつかしょ~まへと受け継がれていくことを願う。




【オマケ】

しかし、なんだろな~、最後のコメント。

「みんながんばってくれて。」

って・・・(苦笑)。

だからそれを言うのはキャプテンですから!

始めにキャプテンを立てた発言がせっかくできたのにね。

あれで終われば合格だったのに、おっし~な~。

ハタチならわかってて良さそうなもんなんだけどな~。

フィギュアは特に、紳士淑女のスポーツですから、

品格をそなえてなんぼですからね。

失言が多いってことは、

かすかな機微に鈍感ってことだから、

それが滑りに表れてるのかもな~。

そういう意味では「人となりが表れている」と言える。

キャプテンは全て合格でしたね。

失言なし!気配りばっちり!

彼の滑りが今回特に大変素晴らしかったのは、

かすかな機微に敏感だから。

彼もまた人となりの表れる滑りでした。

彩(あや)があったもの!

ファントムになってたわ!

男の色気、かかえた悲しみ、緩急・・・。




やはり、

連盟による全人的教育が望まれますな。

結局そこなんだわ。




生意気ざかり、血気盛ん、それも実は好きなのです。

若気の至り時代の天下無敵感なんて、眩しいもん。

でも、奥深さを知れば知るほどそれって消えて行く。

逆にビビりがだんだん強くなっていくのもいい。

経験を積みながら、

それぞれの持ち味を生かしながら、

それぞれが成長していく。

そうなった時が、アスリートとしての真骨頂。

若手がそうなる前に俺様で終わったり、

身体を壊して早期引退となると、

この競技はつまらないものになってしまいそうです。




辛辣なこと書いてごめんね!

フィギュアファンとしては、いいものを観たいの!

美の系譜が脈々と受け継がれていくことを

心から願っているのです。





今シーズンのわたしの結論。

「大ちゃん大好き一番好き!」です(笑)。




ほな!




大ちゃんを遠い目で
 いつまでも見守り続けます!!
ドキドキ