覚悟はもう、とっくのとうにできているから。

この状態で、7年も8年も続いてたこと自体が不思議なことだから。

きっと、問題がない家庭なんてないと思うんだ。
だから特殊だなんて思わないし、自分が可哀想な子とも思わない。

振り回されるのは子供だと言うけれど、
子供のために思って今の生活をしてきたのならば、
きっとそれ以上に犠牲になっていたのは親なんじゃないのかな。

感謝の気持ちは忘れない。
留学させてくれたり、もう十分すぎるくらい私に手をかけてくれた。
「夢を潰すことはしたくない」って言ってくれた。
だからあと2年間は、もうちょっと迷惑かけるかもしれないけれど。

だけどもう、楽になっていいよ。
私もこの状態、早く解放されたいから。
長い間続けてきて、もう慣れちゃったけどさ。

冷めた家庭。
唯一つながれているパイプは、私と母親の関係だけで。
この8年間、3人揃って笑ったことなんて何度あったかな?

新しい学校が始まるんだし、
新しい住まい、新しい名前、そんなスタートでもいいんじゃない?

まだ最終決定したわけじゃないけどさ、
もう道は其れしかないのでしょう?

修復不可能なことなんて、もう長い間見ていればわかるよ。


もう私のためじゃない、自分のための道を歩んでほしい。
笑ってた時期がなかったわけじゃない。
だから、私は十分幸せな家庭で育ったと思っているから。
私の思い出たち。

ひとつのことがようやく消化しきった気がします。

今までも同じこと、何度もあったけど、

いつも消化不良だった。


楽しい思い出は楽しいままで。

辛い思いでは何かに包んで。


長ーい、長ーい道のりだったけど、もう平気☆

新たな道に、進むのサ!!

いつからこんなに変わってしまったの?


そんなこと、問い掛けたって無駄だよね。


過去を振り返ったって、在るべきものは今。



ゆっくり、ゆっくりと、本来の自分へ。

私達は わかれ道に出会う度に


どちらかを 選び進むのだけれど 


選ばなかったもう一方が いつも


やけに輝いて見えてしまうのは どうして?



迷った時はきっと


君はもう知っている


選びたいその答えを 選ぶのに躊躇しているだけ



---浜崎あゆみ 「Beautiful Day」



その通り。


きっと私の中の答えはもう出ている筈。


ただその心の中で、


「本当にそれでいいの?後悔しない?」


と、自分の声と声がぶつかりあっているだけ。



その道を選ぶ、もう少しの勇気を。

あのとき負った心の傷は


未だに癒えてないのだろうか。


自分ではもう平気な筈なのに、


同じような物語や話を聞くと、


まるで自分のことのようかのように泣いてしまう。


そして、また其の時の光景が頭に蘇る。



キッチンに夕食の支度をしている母親が居るにも関わらず、


その後ろ姿を見ながら。


だんだんその姿がぼやけてくるんだ。


もう前が見えないくらいに…


落ち着いたと思っても繰り返す。


止まらない。


多分、今までに無いほど泣いて、泣いて、泣きまくった。


ティッシュを何枚使ったかだなんて、覚えてない。


覚えているのは、


何も聞かず、何も手を出さず、黙って泣かせてくれた母親の背中と、


明かりもつけず、キッチンの明かりだけで暗闇に包まれた夜のリビング。


そして、其の時の、気持ち。




ほら、其のことを思い出すだけで、また涙が溢れてくる。


ただ単に、涙脆くなっただけなの?