Nikomat EL
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親父が終戦を迎えた時、児島海員養成所で養成期間を終了目前だった。卒業後は、海軍だと思うが乗船する予定だったようだ。この海技大学校は、全国に点在している(いた)分校の大元である本校だろう。

終戦を知った時、親父は荒れに荒れたそうだ。その後直ぐにアメリカの占領下になり、LST-626に乗艦する事になる。この船は日本に貸与された物で、商船三井が管理していたのかも知れない。

(ネットで偶然発見した写真を拝借、奥の船LST-626)


(同型の搬入搬出防水扉が開いたところ)


何故かと言えば、大陸に残された日本人を帰国させる為である。先ず乗艦して驚いたのが、艦内にはエレベーターが有り、仕組みは分からないが空調設備も備えられていたそうで、此れを目にして勝てる分けが無いなと思ったと言っていた。

上官はアメリカ軍人で、日本人乗員には良くしてくれたそうで、食事も十分だったようだ。

引き上げ者の多くは命からがら逃げて来た人が多く、多くの人々が日本に到着する間に餓死したり病死したりしたそうだ。引き上げ者全員に満足いく食事を与えられなかった事は、当時の事情からすると致し方無い。

その期間、日本の神戸や東京などに寄港したがその時は、アメリカ軍船籍の乗員として身分が保証されており、皇居にも入る事が出来たと言っていた。

因みにLSTと言うのは、揚陸船、或いは揚陸艦と呼ばれるもので、ランド シップ フォー タンクの頭文字 Land Ship for TankのLSTで、戦車などを運び海岸から上陸させる為に造られたものだ。

さて、この親父の生きる原点にもなった学校の本校が、私の住まいから10分ほど歩けは行く事が出来るのは縁と言うものだろう。