日本にはたくさんの名作がありますが、

その中でも私が好きな1冊のひとつが

新見南吉の『でんでんむしのかなしみ』です。

 

 

新見南吉はあの『ごんぎつね』を書いた人です。

 

この本を知ったきっかけは、10数年前に読んだ

美智子皇后の『橋をかける』(←これも秀悦!)という子供時代の読書の思い出から

本を読むことの意義を綴った本の中で、『でんでんむしのかなしみ』について

言及されていて興味をもったからです。

 

本の大まかなストリーはこんな感じです。

 

一匹のでんでん虫は、ある日突然自分の背中の殻に、

悲しみが一杯つまっていることに気が付き、

「もう生きていけないのではないか⁇」

と自分の背負っている不幸を友達に話に行きます。

 

ところが、友達のでんでん虫は、

「それはあなただけではない、

私の背中の殻にも悲しみは一杯つまっている」

と答えます。

 

小さなでんでん虫は、また、別の友達、

また別の友達と訪ねて行き、

同じことを話すのですが、

どの友達からも返って来る答は同じでした。

 

そして、でんでん虫はやっと、

「悲しみは誰でも持っているのだ、

自分だけではないのだ。」

 

ということの気が付きます。

 

そして、このでんでん虫が、

もうなげくのをやめたところで終わります。

 

もちろん、ハッピーエンドでもなく、

楽しい本ではまったくないのですが、

読後感は悪くなく、生きることの複雑さを

教えてくれる本だなと思います。

 

実は、この本を最近5歳になったばかりの

息子が、最近ほぼ毎日自主的に音読しています。

 

4歳の頃は、ときどき私が読み聞かせる

ことはありましたが、まだ理解するには

早いよねと思いながら、

「カタツムリの殻の絵がきれいだね」などと、

メインストリーから外れて適当に読んでいたのです。

 

でも、息子は、私の理解を超えたところで、

この本の良さを、伝えたいことをしっかりと感じ取っている

ように思います。

 

感想なんかを言葉にして聞いたわけでは

ないのですが、

 

息子が音読する姿と、

読後のしみじみとした彼の表情から

そんな気がするのです。

 

英語絵本でも、日本語の絵本でも

同じなのですが、大人が

「この子にはまだ早い」とか

「まだ難しすぎるよね」という考えは

控えたほうがいいなと改めて思うこの頃です。

 

面白い本は面白い、年齢や言葉は関係ないなと

思います。

 

興味のある本を

どんどん読み進めていける

そんな環境を子供につくってあげて欲しいと

願います。

 

この数日、『でんでんむしのかなしみ』に

ハマった息子が、

先日の雨の日に、

幼稚園で息子がカタツムリの塗り絵を

やったといって、作品を持って帰ってきました。

 

 

そのカタツムリの殻が、妙にカラフルに塗ってあったので、

「綺麗に塗れたね。」と褒めると、

「そこには悲しみがいっぱいつまっているんだよ。ママ」

と言われました(笑)

 

ちなみに、この絵本の絵は

鈴木晴将という日本画が描いているのですが、

本文の内容を見事に表現した素晴らしい絵で

素晴らしい絵本だなと思います。