人と人も同じですが、国と国もお互いの歴史や文化を正しく理解してこそ、より深い尊重し合える関係を結べると思います。

オリンピック柔道60キロ級で楊勇緯さんが銀メダルを取ったことから、台湾先住民について三船文彰先生から話題提供していただきました。(楊勇緯さんは台湾先住民のパイワン(排湾)族です)
今回のワクチン提供にもご尽力なさられ、また長年芸術を通して日台の文化の橋渡しをなさっておられる三船先生からご助言いただきましたこともあり、今日は台湾の先住民について触れようと思います😊


台湾の先住民については、日本では余りよく知られていないので、歴史的な認識を深めていける良い機会だと思いオススメの映画と書籍をご紹介します!

「霧社事件」「高砂義勇隊」、名前だけは聞いたことがある知っているという方もおられるでしょう。
明治時代から日本による台湾先住民の厳しい鎮圧が部族ごとにあちこちでなされてきました。
昭和5年に起こった統治下台湾で最大規模の抗日蜂起事件が霧社事件です。
時が過ぎて第二次世界大戦では日本兵として日本のために南方で戦ってくれた先住民の方々が高砂義勇隊です。(高砂族というのは数多くある先住民族の総称)

霧社事件という最大規模の抗日蜂起事件を題材にしながらも反日映画ではない「セデック・バレ」。
激しい映像とは裏腹に、公平に描かれた作品だと思います。




以前ご紹介した平野久美子さんの「トオサンの桜」。
平野さんご自身は台湾愛の深い方ですが、物凄く客観的に綴られた一冊です。
霧社に訪れた平野さんが、現在の霧社の様子と共に歴史についても静かに綴られています。


竹中信子さんの著書「植民地台湾の日本女性生活史」の中には、更に詳しく日本人と先住民との関わりが記されています。

三船先生からいただいたコメントを、そのまま掲載させていただきます。
🍀🍀🍀🍀🍀


東京オリンピック柔道60キロ級銀メダルの楊勇緯は台湾先住民のパイワン(排湾)族。

台湾に日本のアイヌのように先住民が住んでいる事を知らない日本人は多いのではないでしょうか。

実は蔡英文台湾総統の祖母もパイワン族出身、と聞けば更に驚くのではないでしょうか。

これを機会に、日本人が台湾の先住民(日本時代は高砂族と呼ばれていた)についての歴史的な認識を深めていきたいものです。

台湾先住民の歴史もまた日本の歴史の一部であったのですから。


台湾は、350年前から中国大陸より新天地を求めて断続的に移住してきた中国系の人々の子孫、その人たちと原住民との混血の人たち、戦後に国民党蒋介石と大陸から逃れてきた中国人(外省人)など、さまざまな言葉も生活習慣も違う人々が住んでいますが、

台湾には元々原住民が住んでいたのだという認識は非常に大事です。

「台湾は誰のものか?」

「台湾は俺のものだ!」

という人に対して、

「台湾は先住民のものだ!」と答えるのが一番正しいです。

清も、オランダ人も、

その後の350年前に大陸からの移民の漢民族も(鄭成功の武将として共に大陸で清と戦って戦死したため、その息子が鄭成功と一緒に台南に渡った私の一代目の祖先などがそうですが)、

1895年からの日本も、

1946年からの蒋介石国民党も、台湾先住民にとっては、みんな侵略者です。

ただ、日本は、日清戦争に勝利したとして、清と下関条約を結び、台湾を正式に譲り受けて、50年間立派に台湾を建設した事は、紛れもない歴史的な事実です。

問題は、日本が太平洋戦争の敗戦後、台湾の所有権の移行が曖昧のまま、蒋介石が共産党との戦いに負けて、台湾に逃げてきて、台湾を乗っ取り、中華民国を名乗ってしまった事から、今に至って共産党が台湾は中国の物だと言い張る原因を作ってしまったのです。

元々住んでいる先住民や移住してきて、300年も住んでいる台湾人の意見、声が全く無視された状態で、台湾がずっと大国の駆け引きに使われてきたのは、

本当に腹立たしいく、哀れな事です。


オリンピックのおかげでせっかく何十年ぶりに日本のメディアに「台湾のパイワン族」という言葉が出てきましたので、日本と台湾の原住民の高砂族との関係を端的に示している一例を書いて置きます。
戦後南方で一番最初に発見された残留日本兵、中村輝夫が高砂族でした。
日清戦争後、台湾に進出してきた日本人に一番長く、激しく、熾烈な戦いを挑んだのが高砂族だったのに、
太平洋戦争の末期には多くの高砂族の青年が志願し、日本兵として南方に出征して、多くが戦死しました。
高砂族の部隊は「高砂義勇隊」と言って、
勇敢だけではなく、
台湾の密林での生活から得た、サバイバル能力を発揮して、
南洋のジャングルでの戦いで先頭に立ち、日本兵の損害を防いでくれていました。
これは日本人がほとんどが知らない歴史だと思いますが。
発見された中村輝夫氏は、台湾に連れて行かれ、当時の蒋介石政府は、「あなたは日本兵だ」、日本政府は、
「いえいえ、今のあなたは中華民国国民だ」
と、二国からのけ者にされ、補償もされず、
奥さんは再婚しており、
そして、数十年間南洋で一人で隠れて暮らしていても、元気だった中村さんは、台湾戻って2年後に、ガンで亡くなりました。
日本の愚かな戦争に翻弄された、悲劇な人生でした。
これも日本の歴史の一部です。

その昔日本人だった高砂族の子孫が、東京オリンピックで活躍したことで、日本人が少しでも台湾の歴史に興味を持ち、台湾と日本の浅からぬ繋がりを思い至って欲しいと願うばかりです。