ひかたまブログで

素晴らしい記事を見つけました

 

『自然界の死の循環と現代社会での死の否定』

 

人の来ない原生林の中は
とても美しい光景が広がっています


美しい植物たちが共存し
さまざまな動物たちも暮らしています

倒れた木の上には
さまざまな苔が生えて
朽ちた木の幹の中には多くの昆虫たちが住んでいます

すべての植物
すべての動物たちは
亡くなった後も
何一つ無駄になることなく
他の生命体の栄養となって役立っています

 

(中略)

 

私たちの住む社会は
日常生活から死を排除してしまいました


ほとんどの人は病院で亡くなり
スーパーで売られるお肉の死は隠された場所で行われ
道路に木の葉が落ちたり、動物たちの遺体があれば
すぐにゴミとして片されます

人は
死の本当の意味を理解することないまま
死を隠してしまいました

 

それによって死に対する大きな誤解が生まれています

 

(中略)

 

現代社会では死は終わりを意味するようになり
死んだらすべてがなくなってしまうという妄想が
当たり前のようになりました

医療分野においても
魂の尊厳よりも、ただ死なせないことが優先されてしまった結果
真の医療からはかけ離れたものになってしまいました

 

人の活動に伴って起こっている地球環境の破壊も
動物たちの絶滅も、「死」を誤解してしまったことに根本的な原因があります

 

死をすべての終わりと妄想することで
人は破滅的な行動が可能になってしまうのです

 

http://shindenforest.blog.jp/archives/80133378.html

美しい動画付きの実際の記事を是非ご覧ください

 

 

80歳になったはこの数年

 

老いることへの恐怖

死への不安に

 

まれています

 

歩行困難不眠頭痛のため

 

痛い苦しい辛いという言葉を

 

言わない日がありません

 

 

以前

 

その言葉をく度につき

 

母が死に向かっていることへの恐怖

 

母がそうなったのは私のせいという思い

 

心が壊れかけていました

 

でも

そう思うことは

 

私の勝手な思い込み

母にずっと生きていて欲しいというエゴ

 

だと気付きました

 

どんな人でも

 

時が経てば逝く

みんな平等に歳を取り

みんな平等に死を迎える

 

そんな風に考えられるようになり

 

ようやく母への呪縛からたれました

 

 

肉体がちてもはずっと存在する…

 

大切なことはきている

をどれだけかせることができるか

 

そのことを

どれだけ多くたちにえられるか

 

母の生き方を見てそれを学びました

 

 

とはいえ

エゴを全て払拭するのはなかなかしく

日々自分のエゴとっているのが現状ですあせるあせる