ポジャギの講師をしてる糸や布を知り尽くした友人と、ソウルのクァンジャン市場で糸を買う。目についた糸屋さんに教えられて2階のキョンマサというお店で、教わった単語。
견사
지누사 
아나사 
全て絹糸で、1番細いのが견사. 中間の太さが지누사.  ステッチ用の太いのが아나사.
太さは긁기 ^_^
いつの間にか父も80歳に。
久しぶりに顔を見て少しお酒の入った父が、語り出した。

いやぁ、朝鮮人を恥ずかしいと思ったことはないけど、やっぱ子どもの頃ははずかしかったな。

小学校の何年生やったかのぉ。学校の校庭で昼休みに友達と遊びよったら、先生が大声でおらぶ(叫ぶ)んよ。
‘金和くん、豚が酔おて走りよるが。おまえとこの豚じゃないんか?’
言われて、運動場を見たらじいちゃんが買おとった豚が、ピンク色して走りよる。ばあちゃんの作りよったドブロク(密造酒)を飲んだか、かすでも食べたんじゃろ。恥ずかしいけど、必死で捕まえてうちに連れて帰った。

あのときは本当に恥ずかしかったのお。

成績優秀、体格もよく、人懐こい父の、80歳にして初めてする話。
2014年のチュソクは9月8日。いつもの顔が揃う幸せを、数年前に病気をして以来、心の中で感じている。
ハンガウィとも呼ばれるこの日は、秋の暑くもなく寒くもない季節に、実りに感謝する、一年で一番いい季節、なのだが、今年の野菜の高い事!
よくよく考えると、自然の恵みである農産物は、毎年違って当たり前。一喜一憂しながら収穫に感謝するのが本来の姿。室内で電気で管理された空間で安定した栽培などと開発(?)されているけれど、何だかそうなると別物という気がする。一概に悪いとは思わないけれど、そこには収穫の喜びも感謝も伴わない。
果物の供え物も、あれはダメ、これはいい、などいろいろ言うけれど、手に入るものでいい物をご先祖様に供える、と考えればいいのではないか、と思う。
今年も見事な満月が明るく輝いていた。



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