「あぁ、ちゃんと、
ご飯たべられていないんだねぇ。
夜もぐっすり眠れないね。
生理も来たり来なかったりなのかなぁ。
辛かったね。。。不安になるよね。。」
。・゜・
私、何にも喋ってないのに。
なんで、
この目の見えない オジさん
全部知っとるんかな。
まぁ いいや。黙っとこ。。。
、、、あれ、、、
なんか手とか足とか
ふわっと あったかくなってる。。
*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*
それが17年前、16歳だった私が
名古屋のどっかしらに連れて行ってもらって
初めて受けた【鍼】でした。
・
当時どう見ても
怪しい宗教の教祖(?)としか思えない
長~いヒゲの怪しいオジさんは
温かい羽根みたいなフワフワの手で
お腹や手首を触って
なんだかんだと私の不調を
心配してくれていました。
・
その後、全日制高校を辞め、
バイトかけもちしながら
通信制高校に通い
大検取って、19歳で卒業。
「仕事って、思っていたより
1日の中で占める割合 大きいわ。
結婚とか出産とか 私には無理だから
一生 死ぬまで働くんだな~。
だったら
毎日朝から晩までやってても
心が折れない仕事をしたいよね。
例えば、、、
自分が一番苦しかった時に
居て欲しかった人を目指したい。」
・
その時に、ふと思い出したのが
名古屋の鍼の先生で、
「自分が何が辛いかを
うまく言えない
うまく表現できない時に
あんな風に読み取ってくれた。
あの時ちょっと恐かったけど
本当は 私すごく嬉しかったんだ。」
でも、、、
数学2点で全日制高校を辞めていた私は
鍼灸按摩マッサージ指圧師は
【国家資格】と知り、
所詮自分には無理だと勝手に絶望。
また性懲りもなく
バイトをかけもちしながら
カイロプラクティックの専門学校と
通信制短大を卒業し、
名古屋の
上部頸椎カイロプラクティック院に
勤めました。
・
結局
「一生、人の身体に携わっていく覚悟なら
国家資格は取りなさい」
と院長が言うもんだから
「私には無理ですよ~。数学2点だし。」
とビビりながら
恐れ 避けていた 鍼灸学校に入学。
・
そこの院長が結婚する時に出て行くように言われ、
うむ、どーしよっかな~、、、っと
昼休みプラプラ散歩してたら、
「あ、ここ。
たぶん、私、来たことある。」
初めて鍼を受けたところに
辿り着いていました。
・
勤めていた院から地下鉄で2駅、
2.5kmほどの距離にある
閑静な住宅街の中に 鍼灸院はありました。
新患として受診。
全盲の鍼の先生は
長いヒゲがなくなっていて、
なんとまぁ
私のこと覚えていました。
・
先生「あなた、たぶん6年位前に
鍼を受けに来たことあるよね。」
私「、、、はい。
覚えていてくださったんですね。」
先生「苗字と住所が珍しいからね。
(↑旧姓と実家のこと)
今は何をしてるの?」
私「鍼灸学生です。」
先生「えぇっ、どうして?」
私「先生の鍼を 受けたからです。」
*
*
*
その時、鍼灸学校1年生で 22歳でした。
その鍼灸院で2年半の研修を受け、
卒業後に精神病院で働き始め、独立まで、
7年ほどお世話になりました。
・
今は、
「経絡治療」という鍼の治療法
は同じですが
その先生とは
臨床の切り口は全く違うし、
鍼灸の臨床を通して
人の体表にある経絡というツボの流れには
五臓六腑の状態だけでなく
季節との相応・不相応や
生活習慣・思考傾向も
表出するんだよ~ということを知り
私はそこに (気違い暴走と言われるくらい)
最大最高の関心を寄せてしまったので
ずっとそこにとどまることは
出来ませんでした。
・
会を離れる時
その先生から
「何のために
あなたを育てたか分からない」
と叫ぶように言われ
震えながら怒らせてしまいました。
・
恩を仇で返す、とは、
まさに私のことです。
・
すっかり恨まれてしまったけれど、
私にとって
私の人生を変えてくれた出会い
かけがえのない原点
であることに変わりありません。
・
6月5日 芒種を迎えました。
24節気の節がわりのたびに、
初めての鍼との出会い=名古屋の先生
臨床を導いてくださった=半蔵門の先生
独り立ち支援してくださった=梅島の先生
3人の鍼の先生に
感謝と お詫びと 敬意を
心の中から 静かに 伝えます。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
最敬礼
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
