ベーシックインカムの是非 | ワンスアラウンド株式会社 コラム

ベーシックインカムの是非

去る6月5日に、スイスにおいてベーシックインカムの導入についての是非を問う国民投票が実施されたと、記事に出ていました。内容は、最低生活保障を導入する代わりに、他の社会保障を廃止するというもので、案としては大人一人27万円ほど、子どももその4分の1を支給するとしていました。国民投票の結果は、8割ほどの反対となり否決されました。ベーシックインカムという考え方は、社会保障のある種の理想形とも言われ、興味深いものでしたので、今回取り上げたいと思います。

 ベーシックインカムとは、政府が全ての国民に、最低水準の生活を営むための必要なお金を一律支給するというものです。従って、所得に関係なく支給されますので、働けば働くほど収入が上がり、社会保険などの納付項目がないためそのまま手取りが増えて行きます。日本の生活保護は、本人が頑張って一定以上の収入を得るようになった時に、診察代が有料になるとか、所得税が発生する、国民年金も納付するようになるなど、公的支援が極端に縮小され却って貧困になるという「貧困の罠」というものがあります。だから生活保護層は、大きな収入を得る保証がなければ社会復帰できないと言われています。しかしベーシックインカムがあると、このようなことは起きないのです。またスイスの案では、一人27万円ほどの支給ですが、物価が世界一高いといわれるこの国では、この金額では少しでもよい生活を望めば足りないので、勤労意欲は高まると思われました。または、過度にぜいたくな生活を望まなければ、精神面が豊かなワークライフバランスを享受することもできます。そして当然に、貧困者がなくなるわけなので、貧困対策の決め手とされています。また失業という概念もなくなるかもしれません。さらに、現在の複雑な社会保障を維持するための屋上屋を重ねた行政組織が大幅に簡素化され、行政コストが著しく低減し、税金はより有効に使われることになるでしょう。すでに欧州では他国でも議論が進んでおり、フィンランドでは導入を検討中であり11月には結論を得ることになっています。フィンランドでは、解雇事由、職業訓練の充実により転職が有利など労働市場が大幅に開放されており、ベーシックインカムの導入には労働環境が有利だと言われています。社会保障の理想に向かっているようにも思えます。それでは何故スイスでは否決されたのでしょうか。

 ベーシックインカムが導入された場合の違う想定を考えたいと思います。勤労意欲の面で2つの問題が提起されます。さきほどの、収入に比例して手取りが良くなるので勤労意欲が高まるとの考え方は、人には生活向上志向があるという考え方が前提になっています。しかし、割に合わない仕事や過酷で嫌な仕事なら、仕事を辞めてしまうということにならないのでしょうか。生活水準を我慢すれば、精神的には満たされるからこれで良しと思う人が増えるのではないでしょうか。勤労意識は人の尊厳にかかわることなので、これを軽視することは、倫理的に問題だという批判が多くあります。一方、そういう人が増えると、国の生産力が落ちていきます。そうなると国の収入が減り、ベーシックインカムの原資が不足するようになります。別件ですが、カタールでは手厚い社会保障が実施されていました。豊かな資源産出の恩恵により、国民から一切の徴税を行わずに、住居を無償提供し、公共料金、大学までの教育費用、診察代など全て免除されていました。しかし、今年の資源安によって国の収入が激減し、遂に一部の徴税を実施することになったようです。スイスで否決された理由は、勤労意欲が衰え国民が堕落し、国力が衰え財源不足になってしまうのではないかという疑念が、理想に向かうことを躊躇させたことによるものです。日本は、フィンランドやスイスに比べて労働市場が相当に硬直化しているので、転職がスムーズに行かず、労働の停滞縮小、生産性の低下のリスクが高い状態です。理想のベーシックインカムの導入は、雇用の流動化、同一労働同一賃金の実現の先の、更に相当先にあるように思えます。

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