おんぼろぐ -7ページ目
表題の通り、スキーバスによる悲惨な事故がまたもや発生してしまいました。
私もスノーボードを趣味の一つとしており、とても人事として片付ける気持ちになれません。
まずは事故で亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表したいと思います。
その上で自分なりに考えた事を論点整理したいと思います。

第一に法の実効性と現場の意識について
過日起こされた悲惨な事故を教訓として、新たに安全面を強化した立法措置がなされ施行されていた訳ですが、こうした規制を無視した法令違反があった事は報道ですでに明らかとなっており、大変残念な事です。
運転手の健康管理や疲労を考慮した部分に法改正の重要な意味があったはずですが、私が今回の事故で思うのは運転手の交代要員がいたにもかかわらず、休憩時に代わらなかったという生存者の証言があった事です。
体調の異常があれば、交代できる機会があったという点に注目しています。
また乗客にシートベルトの着用を呼び掛ける事もなされなかったようです。
事故原因がまだ断定されていませんので、余計な推測は致しませんが、ヒューマンエラーが仮に事故原因や事故の被害拡大に繋がる要因の一部であったとするなら、現場での安全意識が如何ほどのものであったのか気になります。
例え法律それ自体が運転手の健康や体調に充分考慮していても、あるいは法に不備がありその都度規制を強化しても、現場での運用に問題があれば安全を守る事は困難と言えます。
法律そのものに問題がなかったのか、あるいは現場の意識が徹底されていなかったのか検証が必要と思います。
第二に行政処分について
当該バス会社が事故の起きる2日前に、道路運送法に基づく行政処分が行われていた訳なのですが、この処分は結果的に事故の抑止に繋がりせんでした。
民間企業の活動を過度に行政が抑制するのは慎む必要がありますが、もう少し効力のある処分があれば事故を防げた可能性はあります。
せっかく事故を未然に防ぐ機会があったにもかかわらず、生かせなかった事に悔いが残ります。
第三に長距離バスという輸送手段について
長距離大量輸送の手段として我々は、鉄道や航空機という物を既に持っており、いずれも運転をサポートし、運行を多人数や機械で集中管理するシステムが出来上がっています。
それに比べるとバスによる大量輸送は運転手一人に安全運行が託され、リスク管理が非常に困難といった問題が考えられます。
仮に法令に則って健康管理が万全になされても、一人の人間が長い時間機械を操作する訳ですので、今回のような事故を防ぐのはなかなか難しい。
アイサイトのような運転サポートデバイスの早期普及(自動車運転技術も含めて)は、リスクの軽減に繋がる可能性がありますが、今しばらく時間がかかります。
それまでの事故軽減策として、バスによる輸送を短距離に制限するとか、夜間の運行禁止等考えられますが、より重要なのは社会全体がこのような安価な輸送手段をどう考えるのかという議論が必要と思われます。
夜行バスは東京・大阪を結ぶ安価な輸送手段として定着してますし、事故のリスクは航空機や鉄道と較べて高止まりし続けることでしょう。
一方リスク(人命)とコストを天秤にかけるような議論は日本人の不得意とする所で、こうした議論が深まるとはなかなか思えません。
現状では、自分の身は自分で守るという意識を徹底し、長距離バスを利用する時は自らシートベルトの着用等を行うことが必要と思います。
自身の安全を他人に預ける事の怖さを、どうか意識して下さい。
悲惨な事故が二度と繰り返されないことを祈って。 
秋山郷2015.8
車を所有する楽しみといば、なんといっても好きなところに自由に行ける行動の自由です。友人や恋人とスキーやスノボに行ったり、温泉に行ったり。
これは、一緒に行く相手が居て、共に達成する目的がある場合の話。
私は一人で出かけるのがひどく億劫な質で、誰かと何か目的がない限り、なかなか車で出かけるという事がありませんでした。
ところが所有してる車がだんだん古くなり、20年を超えるようになると様々な場所が頻繁に壊れるようになります。
それは、エンジンやパワステ・デフなど、割りと大掛かりな部分であったり、スイッチやパネルの照明が消えたり、片側のスピーカーから音が鳴らなくなったり等、軽微な事だったりします。
そして、これを他人任せにしてその都度修理を工場に任せると、ほぼ毎月のように頻繁に工場を往復する事になる。
これでは辛抱堪らない。
そこで配線図やら整備書を購入して簡単な部分は自分で直すようになります。
このあたりの話は、古い車に乗ってる多くの方は心当たりあるのではないでしょうか。
で。
自分なり、人に任せたり等して修理が終わると、きちんと動作するかテスト運転したくなる訳です。
そうは言っても、毎回これに付き合う相手もいないので、自ずから一人でどこかに出かける事が多くなる。
どうせ出かけるなら、渋滞のない空いた道で、ある程度ロングランテストをしたい。
どうせ出かけるなら、景色の良い所や、ちょっと面白い所を訪ねて見たい。
こんな感じで、一人でいろいろ出かけるようになりました。
そして、ロングランを走ると、大抵またどこかに不具合が見つかったりするのです。
これを直したらまたテストに出かける訳で、ちょっとした蟻地獄に嵌った今日この頃です。
私は一応仕事で絵を描いている者です。
そうはいっても、イラストレーターと名乗れるような立派な肩書があるわけじゃないし、それどころか趣味でイラストを描いている多くの人達のほうが、技術的にも高水準の創作を行っているのを自覚しています。
ただ絵や漫画を描くのは子供のころから大好きだったし、家にあった主だった有名画家の画集も大のお気に入りでいつも眺めていました。
こんな自分が、ちょっとしたきっかけから商業誌に連載している作家(漫画家)の仕事を手伝うようになり、おもに背景素材を作画して提供するようになったのです。
写真をベースにトレスして線画で街やら建物を仕上げ、
人物の背景や、あるいは漫画のコマの中に「置かれる」事によって初めて完成し、価値を成しうる絵。
このようにして描かれたこれら一群の絵は、一体どういう物なのだろうと考える事があります。
かって、書家・陶芸家の北大路魯山人が、自ら創った器を評し、料理が盛り付けられた状態がこの器の完成した状態で、器そのもので完結してはいけない。
ちょっと物足りないぐらいが丁度良いのだと、語っていたらしいのですが
それと同じで、
人物の背景として、あるいはコマの中にすっぽり収まって初めて完結する絵。
それ自体、決して自己主張しすぎてはいけない。
こうやって書くと、やはりこれは絵としてはロクなもんじゃないと思う訳です。
とはいえ絵を描くことは楽しいし、どんなに収入が低くても
「俺は絵を描く仕事をしてるんだ!」
と言えなくもない。
そんな仕事から創りだされた絵も折を見て紹介したいと思ってます。
皆様宜しければ、お付き合いの程お願いします。
さて、車について話していきましょう。
おんぼろぐのタイトルの通り、かなり年季の入ったぼろ車を所有し、なんとか走らせています。

ではぼろ車の定義は一体何かというと、一義的に古い車だからという事ではなく、古くても充分に整備された素晴らしいコンディションのクラシックカーなどもある訳で、そういう車は例えば東京大阪をノンストップで走らせても往々にして全く問題が無かったりします。
とすると、やはりすぐ壊れる=故障の多い車という事が、一つの見方として説得力のある答えとなりましょう。
で、私の車についてですが、この定義の通りとにかく良く壊れます。
一方、古い車かどうかと云うと、古い車である事には間違い無いです。
とはいえ、ヒストリックカーと呼ばれるような物でもありません。
一般的にヒストリックカーというと、昭和30~40年代の希少性の高い珍しい車で、それこそ今では所謂自動車ショーや、博物館に収まっていてもおかしくない物と思います。
街で見かけたら興味の有る人にとっては、それこそテンションが上がるといった価値の有る存在。
私の車は正直そのような存在感の有る物ではなく、少し前まで偶に見かけたけれど、最近見かけないといった程度の物です。
ちょっとだけ懐かしさを感じる車。
とはいえ、初年度登録は昭和62年なので今年で29年目を迎える訳で、やはりこれは相当な老体である事には間違い無いです。
先に述べた通り、そしてこの車は本当に良く壊れる。
今現在トラブルを抱えながらも、なんとか小康状態を保って走らせています。
車について書いて行くと、ドライブとかドレスアップというよりは、修理の事が多くなるかもしれません。
こんな車ではありますが、宜しければ暫しお付き合い下さい。
2014.11月の紅葉

皆さんこんにちは。
BOROと申します。
なんとく廃れたものや、レトロな景色。
古い車や古い建物が好きです。
そんな物を探してひと昔前のちょっと古い車でドライブに出かけたりします。
仕事で建物や、街の絵を描いたりしてますので、気が向いたら載せていきたいと思います。
その他、なにか気がついたことがあれば、つぶやいてみたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。

