僕は気まぐれマニアック。

 

仏像男子でもある。

鉱山資料館で見た像が気になってしょうがない。

 

調べてみると、とんでもないことがわかった。

 

慶光院清順上人は、戦国時代の尼僧である。

 

伊勢慶光院の第3代院主。

 

初代の志を継いで,勧進による伊勢遷宮を企て,

天文18(1549)年宇治大橋を造替した。

 

次に永禄6(1563)年,豊受大神宮(外宮)の遷宮を

129年ぶりに果たした偉人。

 

そのときには伊勢国司北畠氏に交渉して,

伊勢・近江両国の関所を撤廃させて

参詣者の便宜を図るなど,功績は計り知れない。

 

僕の体に流れる伊勢の国の血が騒ぐはずだ。

 

最初、皇大神宮(内宮)の造替を計画したが,

内宮が承諾せず果たせなかった。

 

外宮も僧尼の取り立てを逡巡したが,

結局こちらは実現したらしい。

 

全国の有力大名をまわって寄進を募った信念の人は、

紀伊国熊野の入鹿村出身の熊野比丘尼といわれ,

綸旨の宛名も「紀伊国清順上人御房」となっている。

 

 

朝廷にも近く上人位を許され,また居室を「慶光院」と称する勅許を得て自らを3代と称したが,実質は彼女の功績による。

 

だから、紀和町でもその功績を称えるために、

より多くの人に知ってもらうために、鉱山資料館に

その像と贈答品が飾られているんだね。

 

墓は慶光院墓地にある。

 

戦国時代に荒れ、100年を越えて中断した伊勢神宮外宮の

遷宮の復興に寄与するなんて、頭が下がる思いです。

 

今度、足を運びたい。

 

みなさんは、どうですか。