「方言札」の見出しがYahoo!ニュースにあった。
JCASTニュースが1月22日夜に取り上げた。
そのTBSの番組はちらっと見た。
どんな番組か知らないで見たが、
確かに、二階堂が話した言葉を点検する内容なのはすぐ理解した。
「『おばー』って方言?」、
なんて二階堂が自問している場面だった。
その後、チャンネルを変えたので最後までは見ていない。
今回のJCASTニュースであらましを知った次第。
「方言札」って久しく耳にしていないので、
番組を見た人から「差別行為」とか「歴史的背景」とかの指摘が出たということに驚いた。
いったいどんな人たちがこんな批判の声を挙げたのか。
記事でも取り上げているように、
67歳の私が小学校低学年のころは「方言札」があった。
「アガッ(痛い)」と言っただけで「方言札」が首から掛けられた。
「方言札」とは肩幅ぐらいの大きな厚紙に、
「方言札」の文字が書かれた手製のプラカードのこと。
方言は今ではウチナー口(沖縄語)と称して、
プライドを持ってしゃべられるようになったが、
当時はしゃべると恥ずかしい言葉として教えられた。
大阪弁や東北弁を話す地域では、
標準語を話しましょうと言った取り組みはなかったのだろうか。
沖縄だけにあった標準語励行、
ウチナー口否定の取り組みだったのか。
戦後の沖縄は米軍統治下に置かれ、
たくさんの苦難の歩みを強いられた。
方言札は一刻も早く日本に復帰しようという思いが生んだ、
まずは言葉から祖国復帰という取り組みの一環だった。
沖縄だけの取り組みだったのかもしれない。
ただ、
ウチナー口といっても一つではない。
宮古島の言葉、首里の言葉、北谷の言葉、本部の言葉と、
それこそ市町村の数だけウチナー口は存在する。
どれを持ってウチナー口というのか。
沖縄には「シマクトゥバ」(島言葉、お国言葉)という表現がある。
地域、地域の言葉を伝統文化として継承していきたいものだ。
ちなみに私の93歳の父は今帰仁言葉を話し、
91歳母は本部言葉をしゃべる。
亡き父方の祖父母、母方の祖父母になると、
シマクトゥバしか話さなかった。
北谷育ちの私は北谷なまりがあるかもしれない。
若いころ大阪北新地の飲み屋で店の女の子に、
「お兄さん、東京の方ですか?」と言われたことがある。
今思えばそれは、
大阪弁をしゃべれなかっただけだったからかもしれない。