サクララン(南城市斎場御嶽で)

小五から不登校で苦しむ息子。

中学生活は普通学級とは別のクラスで過ごして何とか卒業はできた。

高校は通信制の県立高校に入ったが、

2年生のときに突然行かなくなり、

3年生の時に私立の通信制高校に転校した。

 

そんな息子が学校を早退してきて、

好きで通っているプログラミング教室も途中で帰ってきた。

尋ねても何も答えないので様子をみていると、

「お父さん、もうやってられない」

「コミュニケーションがとれない」

「友人がいたら、頑張れるけど孤立している」

「教室では自分一人を除いてみんなおしゃべりしている。うるさい」

と、一気にしゃべり出した。

これまでこんなことはなかった。

 

「ここにも電話するけど、ずっと話中。つながらない」と、

パソコン画面を見せた。

「心の健康相談」「よりそいホットライン」の文字が目に飛び込んできた。

 

以前から、「もう死にたい」とか口に出すことはあった。

その頃は、引き籠っている部屋をのぞくのが怖かった。

「ただ生きていくのはつらい」とも言っていた。

でも今回のように具体的に話したことはなかった。

 

妻は10年ほど前からパーキンソン病を患っている。

薬が効いているときはいいが、

効いてないときは足が動かなくなるので手を引くなり、車いすに乗せるなりの介助が必要だ。

 

そんな妻が、私が息子と切羽詰まった会話をしている最中にヘルプを求めてきた。

「辛いなら学校は行かなくていいんだよ」と言い残して、その場を去ろうとすると、「そんな問題じゃない。これからどうやって生きて行けばいいのか分からない。支えてくれる人がいれば、頑張れるけど、いないから」と息子は言葉を継いだ。

 

数分後、

息子が2階の自分の部屋から降りてきた。

そして「お父さん解決した」と明るい顔で話しかけてきた。

 

「とにかく周囲は気にしないことにした」

「いまやっていることをとにかくやり遂げる」

「学校も行く」

「大学進学も目指す」

「プログラミングの勉強も続ける」

 

どうやら、開き直りができたようだ。

「そう、開き直ることにした」と息子。

こんな言葉も知っていたのかと父は驚いた。

 

「アルバイトもしたい。社会と接したい」

堰を切ったように息子はしゃべりまくった。

 

振り返ってみたら、

学童野球、中学野球も「みんなの目が怖い」と言って中途でやめた。

高校では卓球部に入ったが、「コミュニケーションが取れない」と言ってやめた。

ピアノもギターも望むままに買い与えたが、

教室に通うのをやめた。

ぜ~んぶ、中途半端。

 

成功体験を一つずつ積んで、

自立した生活ができるようにと考える父の願いはかなわないでいる。

 

それが突然の前向きな展開。

「もう大丈夫」

いまは息子の言葉を信じるしかない。