「感動を与えたい」という違和感
こちらの町田樹大先生の記事が、とても面白いです。
町田さんが引退した時、というか、現役の時、私はフィギュアスケートをほとんど観ていませんでした。
名前を知っている程度だったと思います。
驚いたのが、ソチ五輪代表に選ばれて5位入賞、世界選手権では銀メダル、というピーク時に引退したんですね。
私はスポーツを観ていて、元気になったり、楽しかったり、勇気をもらったりしています。
だから、アスリートの「感動を与えたい」という言葉に疑問はありません。
サッカーの「三笘の1ミリ」も、バレーの「高橋藍のフェイクセット」も私からしたらときめくものです。
そして、佳生くんのグランプリファイナルのフリーは、心が震えるものでした。(可哀想で2度と観られないけれど)
ただ、アスリートの立場からすると、「感動を与えたい」という言葉は、上から目線で傲慢だと町田さんは言っています。
なるほど。
少し、違う話になりますが、しょうまくんの事です。
SOIでのしょうまくんの笑顔は、清々しく、背負っていた物を下ろしたような、さっぱりとしたように見えます。
しょうまくんていつも、「感動を与えたい」というスタンスは見せていないように思います。
ありのままの自分を見せて、それを見て楽しく思ってくれる人がいたら、というスタンスだったんじゃないかと思います。
世界選手権のフリーは、ありゃりゃ、、な感じになってしまって。(ごめんなさい)
きっとパーフェクトにしたかったと思うけれど、「こんな風になっちゃうのって僕らしい笑」って感じだと思います。
これが競技者としての最後の演技になったとしても、「わはは!僕って笑」って笑ってるしょうまくんは、アスリートとして面白いですよね。
引退するのか否か、まだ分かりませんが、今まで大変だったでしょう。
特に、モチベーションの維持という点においては、並大抵な困難ではなかったと思います。
相当な重圧もあったと思います。
清々しいさっぱりとした笑顔を見たら、、、
「新しい船に乗り換える」準備が出来たのかなと感じています。
「新しい船」に乗って、どんな冒険に出るのか、楽しみにしています。
(引退しないとしても)
それから、「頑張ります」という言葉に、「頑張るのは当たり前」という町田さん。
試合後のインタビューで、佳生くんを見ていると、聡明だなと思う点が沢山あります。
自分が感じている率直な感情を、躊躇なく出す事。
自分の良かった点、悪かった点。
今後どうしていったらいいか。
を具体的に語っている事がほとんどです。
怒ってるな、という見ていられないようなインタビューでも、町田さんのこの記事を読むと、アスリートはそれでいいんだ、それがいいんだと納得しました。
アスリートは競技をしているだけで役割を果たしている。
ほんとそれ、です。
さて、SOIもフィナーレ。
CS契約していないのです、生配信も観ません。
少し悲しいですが、どこかで女神様が現れる事を期待して、、、