かつて、マイケルジャクソンと同じステージに立った日本人ミュージシャン

しかもその唄とパフォーマンスに合わせてマイケルが楽しくリズムを取っていたミュージシャン

 

私が知っている限りでは彼らだけで

テレビで観たその光景は状況をよく理解していないながらにとても印象的でした。

(この時のマイケルが膝に乗せてる少年は「少年虐待」疑惑の発端になった子ですね。)

 

”ワールド・ミュージック・アワード(World Music Awards)”

かつてはモナコ音楽祭と呼ばれた国際音楽賞

 

1989年創設

基本的に世界IFPI加盟国(日本だと日本レコード協会がこれに当たる)

各大陸・地域で1年間に最もCDを売り上げたアーティストが世界中から集う音楽祭

モナコ公国のアルバート王子が提唱し、世界的にも権威があり

テレビ中継は世界160ヶ国以上、推定10億人が視聴しています。

 

グラミー賞やブリットアワードの認知度には劣るかもしれませんが

ヨーロッパメインのユーロビジョン・ソング・コンテストと比べるとその規模はより大きく

マイケルジャクソンはじめ、セリーヌ・ディオン・マドンナ・ボン・ジョヴィ・マライアキャリー等々

名だたるミュージシャンが出演

いわゆるゴールドディスク大賞の世界ver.

選定基準が基本CDセールスと言うことで、公平かつ分かりやすい音楽祭だと思います。

 

現在、日本でその認知度と言えばやはり安室奈美恵さんの受賞が記憶に新しいかと

2010年日本人としては2組目となります

 

その他日本人としてはB'z・宇多田ヒカル・浜崎あゆみ・EXILEの4組が

過去、ベスト・セールス・アーティスト・ジャパンを受賞していますが

安室さんは1997年に一度受賞していますが当時彼女はツアー中でビデオ出演のみ

(同じくB'Zもビデオ出演(1999年))

その後日本での活動の他、アジアでの功績も評価され

2010年にベスト・セールス・アーティスト・アジアを受賞し

13年越しにモナコ音楽祭に出演となりました。

 

さて、

ここまで書くと分かる人には分かってしまうでしょう

1992年

日本人、そしてアジアでは初の受賞となり

翌年93年・94年と3年連続でベスト・セールス・アーティスト・ジャパン

ベスト・セールス・アーティスト・アジアを受賞した日本人バンド

手前味噌な感じで大変恐縮ですが

はい

CHAGE&ASKAです。(以下CA)

 

👉当時のパフォーマンスとドキュメンタリー動画

 

初年度92年は招待されてはいましたがビデオ出演のみで

93年にようやく初出演を果たしました。当時彼ら35歳

動画を観ると分かりますが

マイケルジャクソンだけではなく、お隣のアルバート王子もノリノリです。

 

ファンならご存知の通り、生歌さえもCD音源以上の彼らが

この時は口パクなんですよね。

確か、主催者側の意向で彼らに限らず

同じく出演していたプリンス、ボーイズ・II・メンもそうでした。

(マイケルはなぜかパフォーマンスせず)

 

さらに翌94年、前年共演したボーイズ・II・メンに影響されたAさん

黒人コーラスグループ「14カラットソウル」とコラボした楽曲

「Sons and Daughters〜それより僕が伝えたいのは」を披露

この時アフターパーティーでホイットニーヒューストンに絶賛されたAさん

「もう一人のメンバーは?」と訊かれしどろもどろになったのは有名なお話です

(相方Cさんはパーティーをすっぽかしカジノで夜遊びしてました。)

 

79年にデビューし

地道にライブ動員数を増やし地盤を固めて行った彼ら

ブレイクする数年前から徐々に盛り上がりを見せ

91年ドラマ主題歌「SAY YES」で一気にブレイク

テレビで彼らを観ない日はない

彼らの曲が流れない日はないくらい

私はただただ圧倒されるばかりでした。

 

何度も書いていますがファンになったきっかけはアルバム「GUYS」

確か星野源さんもこのアルバムからと言ってましたが

あのアルバム発売時は星野さん10歳の小学生

なんて早熟な!!

「WHY」とかどういう気持ちで聴いていたのでしょうか?

(因みに私は歌詞を読んでいなくて、何て唄ってるか分かってなかった・・)

星野さんはこの間の三浦大知さんとのラジオ放送はじめ

何度かCA曲を流してくれているので感謝しかないです。

いつか「野いちごがゆれるように」とか「水の部屋」とか流してほしいなぁ~

無理か(私の勝手なわがままです)

 

 

・・・話を戻して

モナコ音楽祭に初出演した93年はとにかく凄まじかったです。

この年はドラマ主題歌「YAH YAH YAH」が大ヒット、242万枚を売り上げ

翌94年をまたいで約半年をかけて行われたロングツアーは

なんと70公演

その後アジアツアーも敢行、台湾・香港・シンガポールで計6万人を動員

ハリウッド映画「Street Fighter」のテーマ曲に英語歌詞の「Something There」が選ばれました。

追記補足:

1995年に本場アメリカのMTVが主催したVMA(ビデオ・ミュージック・アウォーズ)の受賞部門の1つで、MTV Japanの視聴者が選んだ "International Viewer's Choice Award" を受賞しています。

 

 

 

チャゲアスブームは94年辺りで一つの頂点を極めました。

 

私はおこちゃまだったので、当時訳も分からず彼らの活動を眺めていましたが

とにかくモナコ音楽祭はとても印象的で

気づいたら彼らはモナコに居て、プリンスやマイケルと同じ空間にいて

しかもAさん英語でスピーチしてるしで全てが衝撃

当時、ビデオを何度も繰り返し観ていた記憶があります。

「なんかこの人たち、とてつもないぞ」と、それだけは分かった

 

それ以降もいくつかの偉業を成し遂げて行き

引き続き人気を博しますが

気づけば徐々にトーンダウンしていったように思います。

良くあるパターンで国民的で露出過多であり過ぎると世間は食傷気味になり

いつからか「まだそんな曲聴いているの?」みたいな空気になって行ったのを肌で感じていましたし、同級生たちとの会話から彼らの話題は少しずつ減って行きました。

ちょうどGLAYやミスチルなどのバンドブームも始まり

みんなそちらへ大量に流れて行ってしまったような

そうなるとなんとなくはしゃぐこともためらわれ、まるで隠れキリシタンのように

地味にファン活動をしていたように記憶しています。

 

それでも彼らの圧倒的な音楽のパワーは凄かったし、心の拠り所でもありました。

モナコ音楽祭以降にしても

95年にはジブリの宮崎駿監督による「On Your Mark」のPVが制作されたり

96年、アジア出身として初めて本場イギリスのMTVアンプラグド

「MTV UNPLUGGED LIVE」に出演、日本人としては最初で最後の出演を果たします。

(宇多田ヒカルさん、その他日本人ミュージシャンは日本のMTVアンプラグドへの出演です。)

また、チャカ・カーンやボーイ・ジョージらによる海外ミュージシャンのCAカヴァーアルバム

「ONE VOICE」が発表されたり

やや黒歴史になっていますが

2000年、韓国で日本人初の日本語でのコンサート「韓日親善コンサート」を敢行

韓日親善大使にも選ばれました。

 

こうして書いてみるとすこしずつ活動が海外へ向けられていたのが分かります。

確かこの時期くらいまではイギリスに事務所の支局?が存在していたはず。

 

 

今日8月25日は彼らCHAGE&ASKAのデビュー日

39周年になります。

 

思えばこのブログでは動機が動機だけに彼らに関してはネガティヴな内容ばかりの記事を

書いてしまいました。

自分の頭や心では処理しきれない感情

去年からメインで書くことをやめましたがあれから何も自分の中で処理出来ていません。

「記憶と記録」

どんな記録を打ち立てても、偉業を成し遂げても

あれだけ憧れ、尊敬の念を抱き、クリーンで人格者として最高の人物で

唯一信頼の置ける大人であり、誇りだったあの人は

長年積み重ねたウソと罪でそのすべてを失うこととなりました。

 

事実としてそこにあるのに、テレビの中ではなかったことの様に

まるで存在していなかったかのように放送している音楽番組

ファン以外の人たちにはもはやネガティヴなイメージが最初に浮かんでしまうでしょうし

残念ながら今の状況ではそれはまだ続いていくと思う。

 

Aさんの執行猶予も1か月を切りました。

年内にソロコンサート?

何となく、流れ伝わってくる話題だけ聴こえて来てはいますが

率先して情報を得ることも、ここ数か月Aさんブログも見ていません

別に裏切られたも、許すもない

ただいつまでも切ない

 

彼らの音楽を聴く日もあれば、聴けない日もある

それでも

今日くらい、彼らの偉業を讃えたい

CHAGE&ASKAという素晴らしいバンドがあったことは

沢山の良質な楽曲を作ってくれていたことは忘れたくない

 

復活も解散も、特になにも希望しない

それでも39周年を「おめでとう」と言える状況にまだあることに感謝したいです。

 

 

「おめでとう」

 

 

[MV] Sons and Daughters~それより僕が伝えたいのは / CHAGE and ASKA