東京を離れて9ヶ月が経ちました。

人生の約半分、17年間も住んでいた場所を離れるということが、これほど自分に劇的な変化をもたらすのかと、たった9ヶ月ですが、本当にそう思います。

子供の頃から憧れ続けた東京
どんどん好きになっていた東京

二度と住むことはないと決めていた地元にやむを得ず戻って来ることになってから、私は希望と不安の間を行ったり来たりしていました。


地元の嫌なところ、昔から何も変わっていない現状ばかりが目について、

地元のいいところを見なければ!
見つけなければ!

そんな気になっていました。

そんな私に同化しているかのように
長男は「東京に行きたい。東京がいい」と
言い続けています。


私自身が地元で暮らすことをまだ受け入れられていないこと、それが息子にも伝わっているんだと思います。


でも、私は自分の気持ちには嘘をつけないし、やはり地元よりも東京の方が私にとっては住む場所として心地よかったのです。


そして、今、、、


私の本当の気持ち。


「地元に戻ってきて良かった」


なんです。


矛盾してて、意味分からないですよね?(笑)


でも、心からそう思っているんです。


それは、


私が最も手放したいと思っていた感情

「恐れ」

から解放されたからなのです。


それと同時に、

「ぜったい、大丈夫」
「ぜったい、うまくいく」
「ぜったい、なんとかなる」


といった、

「根拠のない自信」

を手に入れることができました。


これまで、私にとって自信とは
根拠ありきだったんですよね。


過去にこうだったから、頑張ったから、
自分は○○を持っているから、


とか、


何かしらの根拠の上で


自信を付けてきたように思います。


そういう根拠のある自信も大切です。


ただ、


「なんでこんな事が起きるのだろう?」

「自分の力ではどうにもできない」

「神様にお願いするしかない」


こんな絶体絶命のピンチに遭遇した時には、


根拠のある自信がそれほど役には立たないということに気づきました。

それよりも、根拠のある自信によって、

将来に対する不安
起きてもいないことへの恐れが

引き起こされるのではないかと思うようになりました。


根拠のある自信が崩れそうになった時、

つまり、過去の自分の頑張り、後ろ盾がなくなりそうになった時、


それはまさに、


「自分を信じられなくなった時」


恐れが生み出されるのだと思います。


だとしたら、


どんな時でも
自分を信じられたどうだろう?


と、


逆転の発想をしてみたわけです。


根拠があっても、なくても
自分を信じられたら
どうだろう?


見事に、恐れから解放されたんです。


これは、私にとって、


なによりも大きい変化でした。
一番手に入れたかった
「恐れからの解放」

その方法を手に入れたからです。


「ぜったい、大丈夫」
「ぜったい、うまくいく」
「ぜったい、なんとかなる」


と信じ続けること。
それしかないんです。


実際のところ、最初は訓練、修業のようなものでした。


でも、


なぜ、私がこの根拠のない自信が最も大切だという境地に至ったかというと、


こんな絶体絶命の、大ピンチの時に、
降りきてくれた新しい命と、命の輝きを増し続ける二人の息子が目の前にいるからなんです。


私は、


どんな時でも


「ぜったい、大丈夫」
「ぜったい、うまくいく」
「ぜったい、なんとかなる」


と息子達に言える母親でありたいんです。
そして、息子達にもそう思ってほしいのです。


息子だけじゃないですね。


夫もそうであってほしいです。


そして、家族の中で、
誰よりも私自身が
そうでありたいと思います。