こんにちはー、キキです。

 

初めましての方は自己紹介

ご覧くださいませキラキラ

 

 

ひさしぶりにゆっくりネット記事を見てたら

瀬戸内寂聴さんの訃報をしりました。

 

心からご冥福をお祈りしています。

 

寂聴さんはたくさんの名言を残されてますが

好きな言葉はこちら

 

 

愛することは許すこと、

自分も許されて生きてる事を忘れないで。

 

 

 

 

さてさて、忘れないうちにここ1週間を

書き留めておきます。

 

 

 

 

先週末、義理の祖父が永眠しました。

 

最期は安らかに眠るよう

96歳の誕生日も迎えられて大往生。

 

 

 

夫は大のおじいじゃん子で、

先週末一人で帰省の予定だったのですが

予定の1日前に、息をひきとってしまったのですショボーン

 

 

 

夫は残念。としか言わなかったけれど

 

 

 

さぞ無念だったことかと。

 

 

 

だって、実家の両親のもとには20年帰って

ないにも関わらず

祖父母のもとへは頻繁に帰って

いたほど、気に留めていたほどだから。

 

 

 

とはいえ、しんみりする余裕もなく

準備の悪い我が夫婦は

 

 

母に散々買っておきなさいといわれた

娘の喪服も、御数珠も買ってないまま

いたので

 

 

慌てて全部準備し、義実家に帰りました。

 

 

 

お通夜、告別式、親族の方との交流

まぁ色々あったので、それは

おいおい書くとして

 

 

 

一番思ったこと。

 

 

 

絶対、おじいちゃんみたいな

人格者にはなれない。

 

 

後、半世紀生きる時間を

与えられたとしても

 

私には無理。

 

 

 

と思うほど立派な方だったのを

 

家族や親族、参列される方々の

お話を聞いて改めて思いました。

 

 

 

立派なお庭の木が綺麗に

切られていたので

お義母さんにたずねると

 

 

 

 

“庭の木も下から切って。

芝も剥いでしまって。

 

俺は入院する。

 

ひとりで息をひきとっても大丈夫”

 

 

 

全部、残された人たちに

迷惑かけたくない一心の想いから

だったそうです。

 

 

 

“こんなご時世だから

入院したら誰もお見舞いにいけないし

ひとりで最期になっちゃうから。

全然迷惑かかってないよ”

 

 

と義母が言っても

迷惑をかけたくない。の一言だったと。

義母の献身的なお世話も私にはできないと思ったことの一つ

 

 

 

 

いつも口数が少ないけれど

いつもみんなを平等に扱ってくれて

 

私も短い期間ながら

温かく迎えてもらったことを覚えてる。

 

 

 

 

告別式の時に戦後すぐの話や

仕事ぶりの回想も伺いましたが

 

 

 

こんな立派な人いるんや。

 

 

と遠い人に感じてしまったほどです。

 

 

 

 

長く生きたからすばらしいのではなく

随分若い頃からすばらしい方だった

のだなぁって。

 

 

 

やすらかに眠ってください。

そして、できれば夫と娘も

遠くから見守っててくれるとうれしいです。

 

 

 

 

 

 

おじいちゃんすごい!は

最初に書いておきたかったので

書きました。

 

次回以降は

おじいちゃんと対比的な

私の器の小さいお話になりますもぐもぐ

 

 

 

 

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