死んだばかりの人(普通の亡くなり方をした人)は,最初は少し戸惑っても,自分の死に大きなショックを受けはしない。
愛する人達と多分,来世でも再会できるのではないかと,分かるからである。

あくまでも「愛する人」とである。

死によって,愛する人との繋がりが断ち切られることはないのである。


また,この世に残った人たちが,愛する死者を思い出している限り,死者は,本当の意味で逝っていないのである。
死者は,限りある肉体の,物質的な個体性を失ったにすぎない。


どんなときでも,旅立った魂は,呼びかけられたら,いつでも反応しているのです。第三の目が覚醒している人は,瞑想などをしている時に,それが,分かることがあると思う。

死者の魂は,残された家族や友人が,生前の自分との思い出を大切にしてくれていると喜ぶのは事実である。
ただ,死者を思い出すのは,執着であったり,ネガティブなことではいけない。そのうようなものであると,また違ってくる。


ちなみに,霊の世界の感情は,人間がこの世で生きているときに生じる感情と同じではない。

亡くなった人が,こうしたら喜ぶのではないかと思ってやったことが,向こうの世界の魂にとっては嬉しくないことも多々ある。苦痛を与えていることだってある。

たとえば,変わった墓にしたり,一緒にいたいからと遺骨の一部を持っている人がいるが,これなど絶対にやってはいけないことである。苦痛を与えることになり,障りとなることがほとんどである。常識のある人は,感覚的にやってはいけないと分かるはずだが。

供養は,基本,昔からおこなわれている方法で,おこなうのがベストである。自分流に,変わったことをする人がたまにいるが,それはやめたほうがいい。たとえば,お盆の時,先祖を送るときに,普通は,ナスやキュウリで作った精霊馬で送るが,何を思ったのか,玩具のバイクで送ったという人を見たことがある。

不幸になったり,災厄が起こりやすい人は,だいたい変わった思考の持ち主であることが多い。いい意味で変わっているのであればいいが,不幸になる人は,へんに変わっているものである。非常識というか。