人間であるかぎり,例外を除いて,幸せな人生を願わない人はいない。
遠い昔から,人々は幸福を求め,それを実現するために努力し続けてきた。
そうした幸せを実現させる方法のひとつとして,信仰であったり,宗教がある。

現代の寺は,葬式仏教になってしまい,葬式や供養で死人を相手にするのが仏教の役目のように思われている。本末転倒である。

はっきり言って,現世利益をもたらす力のない宗教は,どんなに立派な説法(屁理屈)を口にしても,所詮は,死んだ宗教にすぎない。光り輝いた生命(いのち)をなくした化石である。

本来,この世での真の幸せ以外に宗教の目的はない。釈迦も現世利益を説いている。

今,この現実のなかで,幸せになれない者が,どうしてあの世で幸せになれるのか。ということである。

この世で生きているうちに,幸せになれない者は,死後の世界でも,生前と同じような苦しみを味わい続けることになる。

幸せになるには,あなたの魂の波長が,幸せな世界の波長と合うようにしなければならない。それをきちんと教えているところが,本物の宗教,あるいは教えである。
しかし,残念ながら,日本には,本物の教えは本当に少ない。もし,あなたが,本物の教えと縁があったなら,相当運がよい。小生は,運よく縁があって人生が大きく変わった。


とにかく,今,幸せを感じられない人は,人生を終えるまで(亡くなるとき)には,生まれてきてよかった,幸せな人生だったと思えるように,努力することである。亡くなるときの想いは,死後の世界へ続く。



ちなみに,どうせ俺(私)なんか,と捨て台詞を吐いたり,どうせ俺(私)はあと少しで死ぬとか,いつ死んでもいいとか,何歳で死ぬとか言うような人は,不幸体質の人である。

くだらない予言を暇さえあれば見ているような人,滅亡を期待しているような人は不幸な人である。ただ,確実に悪い方へ向かってはいる。しかし,そうなったらそうなったである。強運な人は,そう考える。今に集中して生きている。