他人から命を狙われる,奪われる人は,相当な重い因縁がある。
前世含めた過去に,他人の命を奪うようなことをしていなければ,他人に自分の命を奪われるようなことは絶対にない。
「やればやられる」「自分のしたことは,必ず自分に返る」これが因果応報であり,宇宙の絶対的法則だ。
因果応報,この絶対的法則には,神や仏の力も及ばない。
悪いことが起こると,神などいないと言う人がいる。
いるいないは別として,神がいても,因果応報という絶対的法則の前では無力なのだ。無力というより,神にも,因果応報の法則は及ぶ。当然といえば,当然だ。
良いことをしていれば,良い結果となって自分に返る。
悪いことをしていれば,悪い結果となって自分に返る。
当たり前のことであり,自然現象だ。
人の命を奪えば,いつか自分も奪われる。
奪われた時,やり返さなければ,人の命を奪ったという因縁は消滅する。
言っておくが,人の命を奪うとは,直接,人体に危害を加えるだけでなく,相手をいじめ,苦しめて自殺に追い込むことも人の命を奪った因縁となる。
ネット上で人を誹謗中傷し,相手が,それが原因で亡くなれば,人の命を奪った因縁となる。
職場で,同僚や部下に酷い仕打ちをして,死に追いやっても,人の命を奪った因縁が生じる。
つまり,「あなたが原因で,他人が亡くなった」ならば,あなたには人の命を奪った因縁が生じるのだ。
人の命を奪った重い因縁があると,タイミングが重なったときに,必ず,自分も命を奪われるということだ。
どのような形で出るかは分からない。通り魔に遭うという形で出ることもあるし,撃たれることも,刺されることもあるかも知れない。難病として出ることもある。相手の,恨みの念の強さによって,様々な現象を起こすのが怖いところだ。
人を苦しめるなら,覚悟は必要だ。
話は変わるが,
有名な方が,「まともな宗教は名前を隠さない」と言っているのを見たのだが,たしかに,それはある。
宗教名を隠して,活動している宗教には気をつけたほうがよい。例えば,自己啓発を装ってセミナーを開いたり,無料で英語を教えると言って,宗教に入信させようとする悪宗教もある。
正確には,人を不幸にするのは宗教ではない。
「無料」「セミナー」,この辺の謳い文句には注意したほうがよいだろう。
あと,「強引」これは特に注意したほうがよい。
まともなところは,去る者は追わない。もっといえば,来る者は選ぶ。勧誘チラシをポスティングすることもないし,家まで勧誘しにくることもない。
まともなところ,あるいは本物は,「向こうから,積極的に,強引にやって来ない」と覚えておくとよい。これはビジネスでも同じだ。すべてに共通すると思う。偽物ほど,強引に,がんがんやってくる。営業をかけてくるのだ。
まともなところは,いい意味で素朴である。シンプルだ。
宗教に限らず,昔の友人からいきなり連絡があって,どうしても会いたい,こんなふうに言われて会ってみたら,マルチ商法の勧誘だったという経験をした人もいると思う。少しでもおかしいと思ったら関わらないことだ。悪縁をつくると必ず不幸になる。
まともな宗教や,ビジネスは堂々としているものだ。
やましいことが無ければ,名前を隠すことはないのだ。
人の命を奪った因縁とお同じく,人を不幸にする何かに,他人を勧誘すると,それも相当な重い因縁となるので注意したほうがよい。
基本的に,人から感謝される,尊敬される生き方をすることだ。
そこまでできなくても,せめて,人から恨まれない生き方をしていれば,不幸になることはない。