最近よく母親と話すようになった。


この年齢になって初めて“年の功”の意味がわかり始めて、相談事が9割といったところだ。


70歳にも近くなった年齢にもかかわらず、仕事をもって入院中のばあちゃんの面倒まで見ているアクティブママさん。


例のごとく電話をすると、「ばあちゃんのところにいるので話しなさい」という。


電話越しにゴソゴソ。


100に届く年齢になり、どうも僕の名前を忘れてしまったようだ。




ばあちゃんは数年前他界したじいちゃんと農家を営み、僕ら兄弟の面倒をみた。


寒い夜は、おねしょが止まらない僕を抱きしめて眠り、朝は2人ずぶ濡れだった。


腹が痛いといえば2時間でも3時間でも僕の腹をさすって。


心があり、強い田舎のばあちゃん。



電話に出るとすぐに僕を思い出して“最近どう??”のご挨拶。


それからちょうど一昨日あった子供たちの個人面談の結果を軽く報告。


「ばあちゃん、うちの子2人とも全然宿題しないんだけどさ、成績は常にトップだってよ。どうも俺には似なかったようだ。」


「。。。」


泣いた。ばあちゃんがひとしきり泣いた。


初めて聞く電話越しの泣き声。


僕の心がブルブルと音をたてた。


子供たちの成績なんてこの際どうでもいい事だろう。


僕らがしっかり生きていることを、きっとまた会える事を、きれいな想い出を共有できること。


いろいろなことが頭に浮かび、穏やかな心に変わる。


末に広がった家族の分愛情をもって、同じだけ心配ごともあっただろう。


何十年も心配ごとを自分の中に納めて昨日開放した。



老いは悲しみかもしれない。


でもそれだけではないことを、僕はもう知っている。