今日は母の日です。


それは日本国が勝手に決めた。。。


と語ればそれまでの話だけど、我が家でも母の日をいい一日にしようと子供たちと話したので、そうすることにしました。


去年の母の日は次男、お腹が痛いといって学校を早退。


今年は






とだけお母さんの絵の画用紙に描いて、クラスが騒然となったことを家庭訪問のときに担任から聞いた。


だけど僕は次男を認めたいと思う。


本人にしてみれば嫌気がさして、投げやりぶっきらぼうの心があったかも


知れないけど、次男にしてみれば真実を書いただけで。


厳しい状況を受け入れる時に、人間の一番弱い部分を突っつく良くない

空気が漂う。


彼はそれをシンプルに跳ね除けたわけ。


きっとそれでいい


周りがどう言おうと


家族として


を貫いた次男は僕の自慢です。


僕には今のところ相談はないけども、長男の力強さも自慢しちゃいます。


そして、マイワイフに感謝と愛を。

終わらない愛











不眠、不眠。

寝なくてもいい夜。

眠くて仕方がない朝。

楽しみとかそんなことは、皆それぞれ。

僕のそれが手詰まりの時に夜が終わって行く時、

なにか特別なものを感じたくて。


欲深いのだろうか。僕は

ずっと昔、自由に生きると決めた地図の門へたどり着いたか否か。

一番大切なものは失った。
だから自由とかそんな話はどうでもよくなってしまったんだ。

矛盾してるけど、突き破るのは自分しかない。


わかってる。














努力した分だけ報われたいと思う。

努力していなくても結果が出れば、なんとなく自分を信じてしまう。

努力の頂点はどこだ?
仲の良い友達と話していてつながったことが。

アナログも大切だ


実は自身も疲れていた気がして仕方がない。

トイレまで追っかけてくる電話。

遊んでいる間にでさえ、自宅に届く仕事。
メールとか

便利な分、こころに不自由が訪れたかもしれない。

世の中のせい、人のせいと無責任に話すが、実はここだった。個人的には。

表現の自由はそれを失いつつある。
かもしれない。

追求する気持ちはネットが解消してくれる。

便利は大歓迎。

でも大切なことは、泥臭くやりたいんだよ。

実体験を持ってる人と出会ったりとか。

じゃなくても答えが出ない時間の中で、画面とにらめっこで真実は得られるのかな。


また悩みを増やしたかね~


そもそもあまり悩んでないけど。


ホントのことを知らないのは、泥臭くないから

かな






子供たちが気になる。

わが子


ダラダラと過ごすその姿は、僕が子供の頃ときっと一緒であり

DNAとか難しい言葉をよく耳にするけれども、それ以以上にきっと僕もそうだった。

そうに違いない。


そこに昔の自分が写るとガンガンに腹が立つ。

本当に勝手な話だ。

わかっているつもり。


けど腹が立つ。


怒るだろう。たまには褒めるだろう。

でも許してあげよう。


かつての自分を。



昨日ブログを書いたけど、途中で書きたいことがわからなくなり、、、

下書きボタンを押したけど、下書きはどこ??


地元のトップヘアサロンを動かすあの人と仲良くさせてもらっている。

可愛がってもらっているという表現がいいかな。

感性が15分に1回ぐらいのペースで合致する。

見ている情景、音楽。

たまにハズすけど。

いい先輩。

僕がお邪魔すると、お客さんにお待ちいただき談笑。

家族でお邪魔すると、スタッフみんなと談笑。


お客様から絶大なる信頼。

お客さん、先輩、僕という絵図で話したこともしばしば。



予定で昨日は2人で酒を飲むつもりだった。

電話したら出たけど、話さない。

そういうことだった。

お父さんが天に召されたと。

告別式でお茶の香典返しをいただいて、ばらした時に“想”というおばあちゃんの手紙



以下抜粋

洋画が好きだった夫と待ち合わせをして、夫婦水入らず 穏やかな時間を過ごした若かりし頃。

夫とならば、どんな情景さえもキラキラと輝いて見えました。




順番が逆だったらこんなこと書いてくれたかな?

ナシ?

どうだ!?



思いがけず人生は変わる。

けど変化はその限りでない。

覚えてないよ。

覚えてるけど、教えない。

教えたいけど、覚えてない。


でもいいか。

でも引っかかる。


教えてもいいよ。

僕はそれほどケチではない。

断然憂鬱。

自分の好きなこと以外。

好きなことも少ないほうだから、1日の中ではキワドイ時間が多いことになる。

理由はおおよそわかるが、わかりたくない時もある。


予定では今時期、高級車を下駄代わりに仕事を簡単にこなし、毎晩うまいものを食べて
もう結構ですと言わんばかりの名声を、ひけらかすことも無くワイドショーに取り上げられている。
はずだった。

今時分は、そのどれも予定通りになっていないし、そのどれもほしいとは思わない。


と、ココで最終の忘年会から帰宅。

本社2人の2家族忘年会。

相方の赤ん坊が寝る時間。。

すばらしい間合いだと思う。

子供の生活を守るという、その集団なりの規約。
守ることに幸せをズンと感じる。


音楽にたとえるなら、かつて僕が必死に創っていたものは

□ごっつい音
 □気持ちよさそうな音
  □当たり障りの無いいい感じ

を合わせたものだった。

日常にたとえたら、ごっつい音に終始している可能性がある。

終始ごっついのは、誰が聞いても耳障りか。
個人的な捉え方だが。

気持ちのいい音だけでもしかり。

僕らの未来をもう一度描くなら、“いい音楽”がいいだろう。

重なり合う、いいハーモニーが必要だ。


生活上、起こりうるすべてのことは、ハーモニーの一部で一日一日の音楽を創り出す。

いい一日を作る為に、どうでもいいことでも大切に過ごせばきっと。

重なりあう出来事で、帳尻が会うことがあったらいい1日だ。


そんな音楽を聴いてみたい。













面倒なプレゼント配布を終えた。

毒舌ぶるつもりはとんでもない。さらさら無く。

実の子供たちにはプレゼント無し。

簡単にいえば、

1:キリスト教でない。
2:なぜプレゼント??

というところだろう。

考えたことも無かったが、世間体と子供に教えたいことのギャップなのかな??

よくわからない。いまだに。


僕が子供のころの絶対的な権利。いわゆる5月5日を越えたスペクタクルな夜が
何年にも渡って今日だった。

OKなのかな??とも思う。

違うとも思う。


どうでもいいことなのだが。


毎日が特別であってほしい。

カートの日と、おいしい食卓と、彼女が夢に出てくれば。


僕が好きなのは