自由にはならない仕事に就くという不自由さ
ワーキングホリデイは、たとえ資金が十分でなくても
現地で資金調達ができるという大きな特徴が
あるからこそ世界中から若者の参加が可能になり制度なのです。
そして今オーストラリアでは、最低賃金が22ドル/時間という
驚くべき経済の活況の有様です。
ひところのバブル成長期の日本と同じような状況が
今南半球で起きているのです。
日本の成長は、実態を伴わないバブルとして
その後『失われた20年』と呼ばれ現在に至る
長い低迷した状況を迎えていますが
豊富な資源を持つオーストラリアのドルは、
今や米ドルに並ぶ力を持っています。
最近のオーストラリアの人々の平均年収は、
600万とも800万とも言われています。
(日本の約倍にもなるのです。)
このような環境下で資金調達ができるなら
低迷の続く日本で準備資金をつくるより
断然効率的ということになります。
ところが、ワーキングホリデイには、
現実には簡単には、自由にならない大きな壁があるのです。
それは、オーストラリアへ行くまでに
仕事を決められないというルールです。
そのことが、資金的な不安の要因となるのです。
経済の活況や、最低賃金はあくまでも
オーストラリア国民に対しての現状です。
ワーホリの際の現実的な問題として考えてみましょう。
できるだけ具体的な計画を立てようとしても
たてられない不安が常に付きまといます。
現地について、住むところも決まってない、
仕事にもつけるかどうかわからない
土地勘もない、
困った時に頼る知人や友人もいるわけではない
ないない尽くしのスタートを切らなければならないのです。
そして一番大きな壁は、言葉の壁です。
ほぼ100%の若者たちが、ワーホリの大きな動機として
語学力の上達を望んでいます。
言い換えれば、十分な語学力がない状態での
スタートが最大の不安の要因となるのです。
そしてその解決策が、ワーホリ当初の語学学校です。
働くために必要な語学力をつける為に
オーストラリアでは、最大4か月までは
語学学校へ行くことができます。
ほとんどの不安は解消できる上に、
住居も、食事も心配はいらなくなります。
おまけに学校で言葉に慣れる間に、
友達もでき、次の生活への仕事などの
情報も得ることができるのです。
送り出す家族や親も
これなら一応の不安はなくなるので
OKを出しやすくなるのです。
慣れない土地でのスタートとしては、
一番効率的で、安心な計画となるのですが、
いくつかの新たな問題も生まれてくるのです。
それについては、また後日考えてみたいと思いますが、
中でも一番の問題は、費用の問題です。
例えば、当初仮に3か月語学学校へ行くとすると、
生活費、語学学校の授業料などを
単純に計算すると約60万から70万ほど必要になります。
これに旅行保険(1年分)や航空運賃などを
ざっと30万として加えて
学校後の仕事に着けるまでの予備資金を考えると
総額で少なくとも120万から150万程度が
必要と考えられます。
もちろん親などからの資金援助が
十分得られる場合は、それで問題はないと考えますが、
大学を卒業したばかりの若者にとっては、
自活をしながら、貯蓄となると
かなりの時間と労力を必要とする金額です。
今私の住む地方都市での
最低賃金は、677円です。(なんとオーストラリアの1/3です!)
学生間のバイトや地方都市での最低賃金700円以下程度では、
十分な資金が貯まるのは、遠い夢の物語となってしまいます。
ワーキングホリデイは、30歳までの間にしか使えない
限定的な制度です。
大学を卒業してからだとすると
わずか6~7年の間しかないのです。
私事ですが、この制度ができたころ
私は、本当に経験をしてみたいと夢見ましたが、
経済的にとてもかなう状況ではなく
断念せざるをえない経験をしてきたのです。
ワーホリの制度を使いリスクを避けるのではなく、
リスクをマネージメントできる能力を身に着け、
自分自身で学んでいく自学自習の生き方、
自分自身の足で歩いて行ける生き方、
世界で通用するしなやかな能力を持ったしなやか日本人
としての能力を身につける生き方
そんな選択を提案していこうとスタートしました。
なぜならば、これからの社会に必ず必要であり
企業に限らず、自分の人生になによりも一番必要な
資質でありスキルであると考えるからです。
お金にも、能力にも、生活にも必要な適応力を
身に着ける戦略的計画を考え実践し、
その経験を自分の能力としていく場を
このワーホリの制度を利用して実践できるのです。
世界というリアルなステージで挑戦をする事ができるのです。
すこし大げさに聞こえるかもしれませんが、
私は、この20年の間、現実にその経験を
している世界中からの若者たちを見てきました。
ヨーロッパ、中南米、中東などからの
多くの若者達は、たくましいのです。(女性は特に!)
私は、仕事の都合上、いつも田舎の方に滞在する機会が
ありました。
テレビの番組で『こんなところに日本人』という番組が
ありましたが、まさに『こんなところに外国人若者が』状態です。
日本人の若者といえば、
都市部で日本人同士でたむろして
語学学校で学生気分です。
少しきつい言い方かもしれませんが、
高校生の修学旅行の延長線状態です。
現地の、語学学校の先生がたや
地元の人達に日本人の若者の印象を聞くと
日本人の若者たちは、ニートだね!とか言われます。
私は、当時neatという単語を知りませんでしたので、
『ああやっぱり町で遊んでる若者が目立つんだ!』と
日本語で使われるNEET(学習意欲も、労働意欲もない)と
言われているんだと思いました。
ところが実際は、neat(小ざっぱり、きちんとしている)という
意味だったことに後で気が付きました。
中国や韓国の若者に比較して
好意的に見られているという気がしましたが、
同時によくimmatureと言う単語も使われます。
未成熟、幼稚、大人になっていない~などという意味です。
私が日本人であるので気を使った言い方かとも
感じますが、自立した大人という風には見えてないのは
間違いないと思います。
私の経験上で感じたことなのですが、
一般的にオーストラリアやニュージーランドでは、
(他の国はよくわかりませんが)
家庭での子供のしつけがとても厳しく育てられます。
日本のお母さん方が、聞いたら驚くと思います。
そして16~7歳になるともう完全に大人として見ます。
ほとんど自分の判断で物事を決めていきます。
車の免許も16歳から取れます。
大学に行く場合でも
殆どの子が、自分で学費を稼ぎながら
自活を始めます。
日本の高校生くらいの年代から、
子供達は自由になります。
自由というと誤解されるかもしれませんが、
大人(自立する)になるという意味です。
彼らは、小さい時から、自由=自己責任という関係を
何時も教えこまれます。
日常の生活でも、色んな所にそれが伺えます。
海でも山でもいくら危険なところがあっても、
ほとんど『防護柵』や『立入禁止』などの表示は
ほとんどありません。
駅のホームに白線もありませんし、
日本のようにくどいほど注意のアナウンスなどまったくありません。
海へ行くと数十キロも続くようなビーチに、100㍍ほどの幅だけに
黄色と赤のビーチフラッグが立ち、ライフガードが監視しています。
ある時、ハンサムなライフガードに
このフラッグを超えて泳いだらどうなるの?聞きました。
彼はニコニコ笑いながら答えました
『それはあなたの自由だけど、僕はおそらく助けには行かないよ!』
またあるときは、こんなこともありました。
あるファームに高校生と滞在していた時のことです。
高校生が、ホストマザーに聞きました。
『消灯時間は何時?』
『あなたが何時まで起きていようと、絶対に他人に迷惑を
かけなければ、あなたがスイッチを切るのよ!』
社会も学校も家庭も、常に自由と自己責任を自分で考えることを
当たり前として捉えているのです。
日本の若者たちの印象を,immatureと表現されることが
気になってしまうのです。
色んな国から来ている若者たちとの接点は、
その国の背景を感じさせます。
お金がある国とか、経済的に貧しい国とかに関係なく
若者の物事に対する姿勢に大きく影響をします。
様々な国から同じワーホリで来ている若者たちは、
パワフルでたくましいのです。
特に女性にそう感じるのは、私だけではないようです。
外国の女性がパワフルなのか、日本の女性が頼りなさすぎるのかは
よくわかりませんが、アウトドアー色の強い生活をまったくいといませんし
牧場やファームの生活への適応力、生活力、コミュニケーション力、
エンジョイ力・・・とにかく気持ちのいいくらいパワフルとしか表現しようがありません。
日本人同士でつるむ時間を過ごすのも、
こんなパワーを目の当たりにして生活をするのも