先日地元のある国際大学の

世界19カ国から集まった

学生たちでチームビルドの

野外プログラムを行いました。


初めて会った者同士が、お互いに打ち解けて

一つの目的を達成するという内容です。

(「チーム・ビルディング」と言います)


 

私は、

指揮をとった指導員の方と一緒に

彼らの目標がどう達成するかどうか、ワクワクしながら見ていました。

 

結果は写真の通りです。とても興味深いものでした。

 

ただ残念な事に、このプログラムを実施するに当たり、

使用された言語は英語でした。



 「残念ながら・・・」に深い意味はありませんが、

英語がもっとできていれば!と

自分の英語力に対して悔しく思ったのでした。


 

実は「異文化」や「多文化」にも深い意味は無いと思うのです。

 


青森に住む人が、鹿児島での生活体験をしてみるのも

異・多文化の受容です。


都会で生活している子供が、山里の生活体験をするのも同様です。


また宗教にも同じことが言えます。

 



日本国内で体験する他県での生活体験はそんなに難しく

構えないのですが、

国境を越えた異・多文化に対しては過敏に媚びたり、

優越感や反対に劣等感を感じたりしてしまいがちです。


 

過去、何人もの学生さんを連れて海外へ研修の為に

ホームステイや

ファームステイへ出かけましたが、

私たち日本人が異・多文化に対応するのが

いかに不得手な国民であるかを

何度も思い知らされました。

 


頭では何となく分かっていても、

こればっかりは知識だけで解決できないようです。

 


「慣れ」や「経験」は教室の中で机に向かって勉強しても

会得は難しいようです。


 実際にその場で、その時間を過ごす事でしか理解する方法はないのです。

 


そして、この体験に一番適している時期が、中学・高校時代なのです。


この時期を逃すと、異・多文化にアレルギー反応が出て、

苦手意識から一生逃げて回る傾向があるようです。

 


かといって高校の修学旅行で海外へ行き、

ホームステイをする体験は、

全くナンセンスだ!と、ある日本人の方が嘆いていました。


彼女は、日本の高校生が修学旅行で訪れるオーストラリアの

とある町に住んでいます。


「日本人の高校生には、是非ここに来て色々な体験をして

欲しいと思うけれど、

できればあんな形(修学旅行)では来て欲しくないんです。」

との感想です。

 

同感です!



でも、日本人の修学旅行生って、そこに暮らす人たちの目には

どう映っているのか?


以前聞いてみたことがありました。

 


ある人は、「制服姿の人が隊列を作ってゾロゾロと歩いていたから、

軍隊かと思った!」
 

(あゝそういえばセーラー服って軍服だ!笑)

 


ある人は、「まるで数百頭の羊の群れをシープドッグ(牧羊犬)が

追っているみたいだった。」
 
(生徒の群れを先生が追っている姿がそのように見えたらしい)

 

と、ちょっとブラックジョークみたいに受け止めているのです。


 

4泊6日などの短い期間でオーストラリアやニュージーランドを

訪れる学校は昔に比べて多くなりました。

 


短期間で、しかも1家庭に4~5人の学生が一緒にお世話になっている。

こんな内容で「異文化体験」になるものでしょうか?

 


ニュージーランドの片田舎の町に、大型バスで押し寄せて、

2~3日過ごしたら帰っていく。。。

まさに「テーマパーク」状態なのです。

 


本当に異・多文化体験をしてみたい、

させてみたいという思いがあるのなら、

学生の皆さんは、もう少し長い時間をかけて、

その国の「素顔」を見る必要があります。



 

「他人と同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、

そもそもの考え方の基本は

「そこに生活する人と同じ生活、同じ食事をする」ことからの

共感からだと思います。