2022父の日〜西洋美術館で購入したゴッホのミニフレーム〜
あなたは自分の親に「大丈夫?」「心配ごとはない?」などと心配されたことはあるだろうか。もしあるのなら、何回あっただろうか。数えられないくらいだろうか。私の両親は4人育てるのに忙しすぎたのか子供たちの健康管理で手一杯で私の心について心配してくれることはなかった。兄からの暴力と母からのいじめの標的になっていた私はよく自殺もせずに生きてきたと思う。死ななかったのが果たして正しい選択だったのかは今もわからないが。〜〜〜昨日父親から「何か相談あればらいんください」(原文まま)とのラインがきた。30数年生きてきて初めて親の方から心配してくれた気がする。返信のメッセージをデスクで書き始めたら案の定泣けてきたので慌てて消した。家に帰ってから離婚や退職について相談してみようと思う。~~~昨日ネットで読んだのだが「人は年を取ると悩む暇もなくなり必死に毎日を生きる」のだそうだ。人生に迷いあーだーこーだ考えながら涙したり何が普通なのかをググったりそういうことをしているうちはまだまだ私も若いのだろうか。~~~~相変わらず母親からの連絡はスルーしている。あの人はきっと分かり合えないのだから。当たり障りのない返事をしたところで私と母が親子として健全な関係になることはないのだ。母親に愛されたくて私の収入には不釣り合いな贈り物をしたこともあった。16,000円の大きな胡蝶蘭。送料込みで、2万円だったか。珍しいニュアンスカラーで母が好きだと思った。胡蝶蘭が届くと、母親は大喜びした。でもまた翌日にはあるいは数時間もしないうちにいつもの冷たい関係に戻るのだ。私が何をしても兄弟で私が最下位であることは変わらない。最下位というか、同じ土俵にもいないのである。~~~小学校の頃からそうだった。母親に愛されたくて高いプレゼントを買うのだ。お年玉を使ってウェッジウッドの食器のセットを買った。1万5千円だったか、値段は忘れたが。母親は「いくらしたのよ」と驚いて私に5千円札を渡した。プレゼントが高価すぎてお金を返されたのはそれが最初で最後だがただでさえ母親に嫌われているのにお金を補填させたことで私は焦った。「とんでもないことをしてしまった、もっと嫌われてしまう」そのときの自分に言いたい。「安心して、あなたは何をしても、しなくてもお母さんに好かれることはないから。」今年は自分の身分相応に母の日にはハンカチを1枚あげた。今までで一番つまらない選択だったと思う。でもこれでいいのだと思いたい。今後は無理をしないようにしたい。何をあげても、何も変わらないのだから。まず、喜ばせたいからではなく好かれたいという気持ちで母親へのプレゼントを選ぶ時点で不健全なのだろうから。~~~~私はというと、6歳の息子から母の日は何もなかった。手紙や折り紙でも嬉しかったのかも知れないが気を遣われていないことに安堵したところもある。息子が私のためにウェッジウッドの食器を買ってきたら息子との関係性によっては辛くて泣いてしまうかもしれない。今週末は父の日である。私は絵の好きな父に先週西洋美術館で買った小さな絵のフレームを送った。1,980円の割に美しいのである。この絵はゴッホの「刈り入れ」という絵である。精神を病んだゴッホが、私は好きだ。苦悩があるからこそその作品に重みを感じる。黄色がポカポカ暖かそうでのどかな田園風景の絵だなと思ったが刈り入れは人生の終わりを意味しているそうだ。明るい絵ではないと分かり本来自分に買ったのだが絵を飾るのが好きな父に贈るのもいいかと思い今回父の日のプレゼントにした次第である。ずっと生きていて欲しい人にこんな主題の絵を贈るのは少し抵抗はあったのだが絵として美しいなら、それでいいとも思った。ちなみに父は普段複製画を飾ることはないのでゴッホのミニフレームを心から喜んだのかはわからない。〜父の日は日曜日なのにてっきり土曜日だと思って今日昼休みに郵便局から慌てて送った。この企画展は9月までやっているので父にも観てもらいたいものである。父は今年で何歳になるんだったか。親の年を覚えていない私は薄情者だろうか。父は遺伝的に白髪がないので若く見られがちだが肌の感じなんかはさすがに皺が目立つようになった。〜〜〜数年前、父方の祖母が息を引き取る夜父の子ども4人のうち唯一東京に住む私は急いで地元へ帰った。祖母はそれを待っていたかのようだった。死ぬのを夜中まで待たせては皆に負担をかけて悪いと思ったのか夜が更けないうちに祖母は逝った。意外と死ぬ直前までとろみのついた麦茶を飲めていたのが印象に残っている。食べるのも飲むのも好きな祖母だった。かつては恒星みたいにエネルギーに満ち溢れていた祖母が苦しそうに下顎呼吸しているのが信じられなかった。自分の母親がなくなったときの父親のつらそうな顔も忘れられない。私は自分の母親が死ぬとき他で経験したことのないほど複雑な気持ちになる気がする。恨みつらみでいっぱいの遺書を書いて母より先に死ぬことでダメージを与えようと考えたこともあったがきっとそれほどのダメージは与えられない気がしてやっぱり母より長く生きようと思った。美術館でハガキを買うこと。母親の影響のひとつだろう。そして母親を喜ばせるために多めに買うのが常であった。ハガキを買うたびに母親が想起されて苦しかった。でも、よく考えてみたところ美術への興味はもう母親云々からは離れ私自身のものとなった気がする。母親を意識せず「良いものは良いのだ」と気楽に楽しんでいきたい。父の日に贈ったフレームは実家のどこに飾られたのだろうか帰省したくないのでそれを知るのは数年後を希望している。