針供養~農業優先の儀式? | ⋆


前の記事に追記です!


8日、新宿2丁目正受院の針供養に参加しますオバケ

浅草でもやっているみたいなのですが、地元にある寺でも大きくやっているとのこと。

行ったことないのですが、やっぱ新宿しかも地元に縁あってうれしい!



正受院の針供養は、昭和32年に東京和服裁縫協同組合がここの境内に針塚を作り、

それ以来行われるように成ったようです。


和裁の先生の師匠が始めたらしいのですが、なぜここに針塚を作ったかと言うと、

綿のおばばさんがいるかららしいです目


正受院の奪衣婆像は、咳止めや子どもの虫封じに霊験があるとされ、

お礼参りには綿を奉納する習慣があったことで、綿をかぶっています雪



それで綿のおばばと呼ばれます。
ちなみに、奪衣婆は、三途川(葬頭河)にやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆のことです。


お昼12時くらいから始まるとのコトですが、天気どうなんでしょう。

針供養の儀式、初めてなので、甘酒飲んで、楽しんできまっす!


いや、農業はまだしていないから、針にひたすら感謝!


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2月8日は、関東では「針供養」ですので、お裁縫はおやすみ…zzz。



◆針供養


折れた針を神社に納めたり、

豆腐や蒟蒻のように柔らかいものに刺したりすることで供養し、裁縫の上達を祈った。


2月8日、または12月8日に行われる。


関東地方や東北地方の一部では両方という地域もある。

関西地方や九州地方では12月8日が普通であったが、必ずしも地域によって固定しているわけではない。


12月8日と2月8日は事八日と呼ばれ、

2月8日を事始め、12月8日を事納めとして、この日から農耕を始め終る日とされていた。


両日はつつしみをもって過ごす日とされ、この日は針仕事を休むべきとされていた。


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儀式というのは、

実は「そのもの」より、「大切な何か」があって、形になって続いてきているような気がします。


というか、本当は今日の針供養も「農耕」が大切だからこそ出来ているわけで。


もちろん、(昔は)日ごろ使っていた針たちにも感謝だけど、

こうやって、成り立ち・ルーツを辿ると「何が優先」なのか、優先だったのかが、見えてきておもしろい。


どう捉えるのかは、年月や状況によっても変わってゆくものだし、

「何かを隠したくて、儀式になっている」場合もあるでしょうけど(爆)。


針供養のこのルーツは納得です☆