「大社」といえば、出雲大社 をいいます。
「神宮」は伊勢神宮。
「大師」は弘法大師・空海のこと。
10月は神無月(かんなづき)といいますが、出雲では神在月(かみありつき)といいます。
出雲の稲佐の浜に、全国の神様が集い会議をするそうです。
そこで、字の如く、他の地域では神様がいなくなるということです。
ところで、出雲大社の注連縄(しめなわ)も大きいということで有名。
普通は神様から見て、左から右へと注連縄がかかっておりますが、出雲は逆です。
日本では左の方が、尊い場所とされています。
医学というか脳というか…右ききだと左側のが都合がいいみたいです。
左側通行なのも、相手が左側を通っていると見えるように、だそうですが
カラダにもいえます。こういうことは、生活とつながっています。
ご飯も味噌汁の左側におく。
お米は神様が宿っているという考えもあるし、
左で茶碗を持つという機能的なことでもあるだろう。
…と、色んな研究があるのですが、
出雲は、兎に角、力があったそうです。
だから、祀られた死後も恐れられて、注連縄を逆にし封じ込めの考えもあるのです。
「入口が左にあるので、そこに向うように掛けてある」と旅行書には書いてありますが
色々読んでいくと面白いものもありました。
注連縄というのは、神聖な場所の区切りをあらわしていますが、出雲では逆なのです。
つまり、穢れ(ケガレ)をあらわしていると。
汚れではなく、ケガレは 『気枯れ』 とも書きます。
日本って「音の国」だから、文字はいろいろだったりします。
『ハレ』 はめでたい、とか日常ではないという意味があります。
『ケ』 は日常、という意味です。(いろいろな議論・解釈がありますが…)
『ケガレ』 は日常を生活する気が弱っているというか枯れている…そんな状態です。
『ケガレ』 は、回復するのです。
それは 『禊ぎ』 によって…と、日本神話にはあります。
なんだかまとまらないので、割愛(爆)。
兎に角、出雲はそれくらいに恐れ多い。偉大であると。
お参りの仕方も通常であれば、二拝二拍手一拝ですが、出雲では二拝四拍手一拝。
倍になるのだから、偉大だという考えと…そして。
四は 『死』 ということで、やはり封じ込めだともいいます。
しかも、横を向いているんですね、この神様。本来は正面を向いているはずなのに。
その向いている先に、いろいろな別の神様がいて、見張っているという考えがあるんです。
お参りしたときは、そんなの忘れていましたけど♪
菅原道真を神社に祀ったのも、偉大だということと、祟りがおそろしいと…。
そういう「畏れ」の精神に通じるのでしょうか。
ただ、それくらいパワーがあるから、いろんな出逢いをもたらしてくれる。
縁結び、というのは恋愛にかぎったことではありません。
むしろ、出逢いということですさまじい力を発揮してくださるらしいです。
出逢いはすばらしい!ってことで♪
◆山崎謙氏 『いま解き明かす出雲大社の謎』
◆井沢元彦 ほか


