年度が替わり、契約更改の時期。契約更改と言っても賃金据え置き。しかし今年は働き方改革とやらで積極的に有休を取れとか、一日の時間数希望出せとか、いろいろ言ってくる。そういわれても代行をお願いする時のことを考えるとしり込みしてしまう。

 

先日、私にとって大きなことがあった。私は今までなにかあると「あの人はどうしてこういうことをするんだろう?いうんだろう?」と真意が知りたくなり、分析する傾向があった。そうすることで肝心の自分の気持ちがおざなりになり、感情を感じなくなるという面もあった。また自分の気持ちを伝えないものだから、それでいいと思った相手がいつまでたっても態度を改めないという側面もあった。でも、最近起こったあることがきっかけで自分軸に考え方を移したのだ。それがとても快適なことにいまさらながら気づく。

 

四月になって新しく担当になった利用者さんが見るもの聞くもの気に入らぬという方。病気や加齢というよりはもともとの性格のようだ。そしてそれは私が小さいころから苦手とする家族と似た気質。まいったなあという感じ。しかし自分に置き換えてもわかるが誰かがそうだからといって、その一部分だけを似てるととりあげ、あなたは私の知っている誰かにそっくりでしょう、同じタイプでしょう、そうでしょう、というのはあってはならないし、とても失礼なことだと思う。私だって言われたらいやだ、私の何を知っているのと反発したくなる。

 

それをよく承知したうえで会うたび、いる時間中、あの人は嫌だ、苦手だ、無理だ、という話ばかり聞くのはつらい。仕事だから傾聴しつつもどうしてもそのネガティブさから身を守る(ブロックや光の繭)に気持ちが向いてしまう。そうすると手が止まる、手順が抜ける。そんなことが続いて事故があってはならないから十分注意してかからねばならないと思う。それがこの四月の懸案事項。

 

それにしても仕事しているときだけは全身を集中させて「この方はどうしてこういうことをするのだろう」をしなければならない、そういう意味では長年の相手軸だった私には向いているのかもしれない。