10月4日に先行公開された「ぶどうのなみだ」を観ました。


舞台は北海道の空知地方です。

大泉洋さん演じるアオ と 染谷将太さん演じるロク のぶどうばたけ。

そこにある日、安藤裕子さん演じるエリカがやってきます。


美しい北海道の景色、透き通った空気や光。圧倒的な美しさがあります。

空の青、ぶどうの緑、土の茶、小麦の金色にエリカの着るワンピースの赤が映えます。


食べることを大切にしている三島由紀子監督らしく

おいしそうな食べ物がたくさん登場しそれを皆でわかちあって食べます。

傷ついているとき、さみしいときに食べるあたたかい食べ物。気持ちが明るくなる映画です。


とてもいいですよー。おすすめです。


おすすめ、なんですが。一点だけ、いや、二点だけ、ちょっとわからないなーと思うところがありました。

わからなかったのは私の見方が浅いせいかもしれないのでほんとうはどうなのか、

観に行って確かめていただきたいのですが

そこが納得できないと物語の世界に入ることがなかなかできなかったです。


一点目。

主人公のアオさんが、最初の仕事であるAから今の仕事であるBに転じた理由がわからない。


たとえば、誰かとの約束があるとか、前から勧められてたのにやってなかったとか

実は前から関心があったとか自分の境遇にBを重ねてみてたとか。

「なぜか、はじめたんだよねぇ」と登場人物がいうだけで理由が語られません。

Bがうまくいかなかったときに非常に苦しみ悩むのですが、そこまでしてうちこむに足る理由が

Bそのものの魅力だけでいいのでしょうか。なにかもう一つ動機があってほしかったです。

その言葉や他の登場人物などからなにかを読みとらなければいけなかったのかもしれません。


二点目。

エリカさんは、キャンピングカーであちこち旅をしていて「ここ!」と思ったところである行動を始めます。

アオは怒って止めに入ります。エリカは駐在さんになにか紙らしきものを見せ、OKをもらうのですが。


そういうことをしていいのかどうかが納得できない。


理由はわかりました。わかりましたが、していいのかどうかがわからない。

というのも、そこで見つけたあるものを「自分のもの」にして立ち去るからです。


探し当てたものはエリカの個人的な所有物ではなく、地球の贈りものなのです。結構高価な。

でてきたものはその土地の持ち主のものなんじゃないの?自分のものにしちゃっていいの?

という疑問がぐるぐるぐるぐる湧いてきました。


エリカはどうしてもそういう行動にでざるをえないような心の傷を抱えているのですが

ここが納得できないで観ているとなんだか身勝手なひとに見えてしまいました。


そういう約束があるならどこかでさらっと入れておいた方がいいんじゃないの?とも思いました。

これはどうしても常識にとらわれて映画を観てしまう私の悪い癖かもしれません。



矛盾してますが一方でどうしてそういう構成にしたかわかるようにも思います。


「おまえなにしてんだ、ひとのとちで」「あんたのとちじゃないじゃん」

というやり取りのときに観客にアオと同じ気持ちになってほしかったのではないかと思います。

一緒に不審がってほしかった。少しずつ抱えている事情が判明していく形にしたかったのだと思います。

現に、監督ご自身が書かれた小説の方には冒頭にエリカの事情や許可をもらう場面が入っています。


次になぜそういう行動をさせたか(また後始末せず立ち去ったか)については

アオに生物の生命力を見せたかったから、ではないでしょうか。


この映画のキモといっていい場面は、エリカがそのまま残していった場所を見せることにある。


生きるために必死に頑張っている。


これを見せたい。そのためにはどうすればいいか。誰かにある行動を起こさせよう。

というように組み立てて行ったのだと思います。


だから私のように常識にとらわれて「いいの?こんなことしていいの?」とぐるぐる@@していたのでは

もったいないです。


大地の中たくましくいきる生命力を味わいに行ってください。