くもり。
30℃超える予報だったけど、別にそこまで暑くない。
今日は一日ひたすら仕事の日。
昨日から取りかかっている案件。
最初は楽そうと思ったけど、ぜんぜんそんなことなかった。
すごい。
こんな幼稚な文章でよく20冊も出せたなと驚くレベルのひどさ。
まず会話が壊滅的。
小学生同士の会話の言語レベル。
自然な話し言葉にもなっておらず、妙に説明的だし、かと思えば会話の途中に急に魔法を唱えたりして、そんなことある????とツッコみながら読み進めている。
わたしがいちばん気になる手法の一つに、
“会話で説明したあとに、地の文で繰り返し説明する”
というものがある。
どういうことかというと、
「お腹が空いたからご飯を食べて昼寝しようよ」
Aはお腹が空いたことを訴えて、昼寝の提案をしてくる。
これ。
いやAがもう全部それ言ってるし、ってやつ。
じゅうぶん発言内容で状況が読み取れるにも拘らず、なぜかもう一度同じことを説明する不思議。
この手法を繰り返し使ってくるからがっかりする。
文字数稼ぎなのか読者を馬鹿にしてるのかただの癖なのか知らないけど、ほんとにこういう書き方をするひとって一定数いる。
あと、著者の文体の癖ってあまり直さないのがセオリーで、いやそんなの当たり前なのよ。
村上◯樹に「この比喩はここでは不要でしょうか」なんて誰も言わないに決まってるし、某有名作家が慣用表現ですら「目」を「眼」にしたがる(ex.「眼を疑う」)のも、把握してしまえば「好みなのね」で終わる話なんだけど、どう考えてもなんのポリシーもなくただの悪癖で謎に「〜のために」を多用してきたらさすがにわたしも気にはなるよ。
そこって普通は「〜なので」「〜だから」にすればすんなり読めるのに、って箇所もぜんぶ「〜のために」にされてるから、いちいち引っかかってしゃーない。
これはこのひとの癖、これはこのひとの癖、とじぶんに言い聞かせて流すのもなかなかのストレス。
独特な読点の打ち方も、かなに開いたほうが読みやすいのにわざわざ閉じてしまうのも、癖と言ってしまえばそれまでだけど、ぜんっぜん魅力的な癖じゃないからなそれ、と言いたくなる。
20冊も書いてまだそこにいるのかという落胆。
これまでだって散々いろんなひとの手が入って指摘も提案もされてきたはずなのに、頑なに変えない鋼の意志。ある意味尊敬する。
わたしだったら「うわぁ、わたしの表現おかしいんだ!」ってあたふたあたふた勉強すると思う。
世の名作たちを読んで、テクニックを盗もうとすると思う。
努力をしつづけないと、一生そこから出られない。
わたしは散々それを痛感してきたので、若いひとたちにも声を大にして言いたい。
わたしもまだまだできてないことが山ほどあって、ひとつずつ、少しずつ変えている途中にいるので、これはじぶんへの戒めでもある。
ところで、「どこも具合の悪くない1週間を過ごしたい」と以前書いた記憶があるんだけど、もしかしたら今日がその1日目かもしれない。
肋間神経痛は徐々に肩に移動して、今日やっと消えた。
怪我した指ももう押しても痛くない。
頭痛も目眩も腹痛もない。
すてき。
はたしてこれが何日続くのか。
今日はうちでとれたさやいんげんがまだあるのに、さらにいただきものも増えたので、大量にごま和えを作る。
あとは魚を焼いてお味噌汁作って、簡単に手巻き寿司の具材を用意して好きなだけ包んで食べてもらう。
間違いなく恐ろしいほど食べるよ、きっと。
わたしも今朝はオートミールとキウイとヨーグルトくらいしか食べてないのでお腹空いた。
早めに準備に取りかかろうかな。
最近、わりと短い期間のうちに服を4着買った。
フレンチスリーブのトップス2着と、ふわっとしたスカートとてろてろのパンツ。
去年買って着てなかったスカートもこの夏は穿く気になって、ふだんの恰好が一新された気分。
ちょっと出かけるだけでも、新しい服だとおしゃれしてる感覚になれてよい。
そしてまだなんかいいものないかなと探したりもして。
今どうやらそういうテンションらしい。
たぶん髪が短いのがそうさせてる気もする。
じぶんの服を買うついでに母にもサンダルと服を買った。
彼女は毎週出かけるのが確定しているので、やっぱり新しい服を着て行けるのはうれしいらしい。
よかったよかった。
またそのうちいろいろ買ってあげよ。
さてごはんだごはんだ。