晩ごはんどき、酩酊した母が急に泣き出した。
ここのところ忙しかったりしてちょっと棘のある態度で接してしまったりした自覚があったので、「わたしのせい?何か気に食わないことがあった?」と聞いたら「違う」と。
じゃあなんだ、何が悲しくて泣いてるんだと訊くと、
「猫がいないのが悲しい。思い出すとつらい。死なせてしまったことがかわいそう」
とのこと。
ひぇーーー
もう2か月も経ってるのにまだそこまで激しく泣けるか、とは思ったけど、
猫は病気だったし高齢だったし、仕方ない。
それでもわたしたちは最後の最後までちゃんとお世話できたし猫だってきっと後悔してない、わたしたちも後悔してない。
などと話すと、うんうん頷いて聞いていた母がぽつりと一言。
「猫に帰ってきてほしい」
「それはさすがに無理だーーー!」
とわたしは笑い飛ばすしかなかった。
それを聞いて少し母が笑ってくれたのでよかったけど、そうか、そんなにか、と改めて思ったのであった。
母のこれまでの猫に対する態度を見てたらそんなふうになるなんて想像してなかったけど、やっぱり猫との思い出を彼女なりに善きものとしてずっと持っているんだということはわかった。
あまりにもかかりすぎる医療費に、いちいち「そんなに高いの!」とか「もう病院行かなくていいんじゃないか」とか言ってたのは忘れてるのか、もうないことにしてるのか。
わたしだけが猫の病気のことを考えて、通院や投薬の管理をしていたのに、まるでじぶんだけが今もずっと猫が死んで悲しんでるみたいな態度を見せられるとそれはそれで「?????」とはなるけど、まぁ年寄り相手に何を言ったって納得なんてしてもらえないので、ひたすら慰めることしかできなかった。
この状態がいつまで続くのかはわからないけど、わたしと母の立ち位置というか関係性みたいなものはこの先もこのままなんだろうな。
仕方ない仕方ない。
そんなわけで、今年の我が家の最大の出来事はやっぱり猫の死、ということになりそう。
わたしだっていまだに家の中で猫の気配がしないことにいちいち疑問と悲しさを抱くし、できることなら5年くらい前に戻って病気にならない未来を猫にあげたい。
そしたら今ごろ、よぼよぼで認知症はあっても体は健康で、老体(母と猫)同士寄り添ってる様子をほほえましく眺める日々が続いてたかもしれない。
などと、考えても仕方のないことをまた考えたりして。
母親のつらさを和らげてあげるには、たぶんまた猫を飼うということでしか解決できないような気はするけど、それだけは何がなんでも阻止せねばならない。
もうぜったい猫とは暮らさない。
これだけは曲げられない。
17年一緒に暮らした猫の存在感があまりにも強すぎた。
もう、あの子以上に気持ちを注ぐのは無理。
そのうち母が「猫を飼いたい」と言い出す日が来る気がして仕方ないけど、わたしは「無理」と言い続ける。
そんなことを考えながら、今日もひたすら仕事した。
明日、新たな案件が2本同時に届くけど、きっとそこまで大変じゃない気はしてる。
1本は明日で終えて、次の1本は2日かけて、最後の1本は年明けから取りかかっても十分納期に間に合うと踏んで少しは休もうと思う。
集中して作業して、とにかく年明けはのんびりしたい。絶対。
今年は、特に後半怒涛の日々だった。
猫の介護に明け暮れたあとは、過去最高に仕事にまみれた。
そのおかげ(せい?)で悲しみに浸る間もなかったのは、幸か不幸かわたしには判断できないけど。
どんなに忙しくても、じぶんの好きなひとたちが、平穏で楽しく過ごせていたらいいなとは常に思ってた。
じぶんなんか誰にとってもたいした存在価値がないことは知ってるけど、じぶんにとっては大事なことは変わらないし。
じぶんの中に居つづけてくれてるだけで感謝。
来年も健やかに楽しく過ごしてくれますように。
2023年中、たぶんもうここに書くことはなさそうなので終わりにします。
よいお年をお迎えください。
ありがとうございました。