先週末からの案件のファクトチェックが膨大すぎて、ここ数日焦りに焦ってひたすら調べものをしてた。
明日の納品に間に合うかどうかギリギリだったけど、やっとさっき終わりが見えてきた。
最後まで読み終われないということが何よりも最悪の結果なので、昨日からは作戦を変更して、とりあえずファクトチェックしたい箇所に付箋を立てておくだけにして、とにかく読むことを優先した。それが正解だった。
あとは心ゆくまでファクトチェックに時間を割ける、というところまで無事にたどり着けた。
ここまで来れば、調べに至らなかったところは「調べてません」のマークをつければいいだけだ。
ていうか、専門書を何冊も調べないと正確な情報が調べられないような内容も多いし、この短い期間でする作業としては、ここまでが限界だと理解してもらえる気がする。
あとはごはん休憩後に集中力が続く限りがんばろう。
先日、親戚から「もうすぐ父親の命日じゃないか」と言われて、「そうだ、17日だわ」と即答できたじぶんにびっくりした。
覚えてるもんだな、ちゃんと。
昨年とかは忘れてた気もするけど。
今年でたぶんちょうど30年。
30年てすごいな。
じぶんの記憶の中では、そのころが人生でいちばん暗い時期だった。
外からはそんなことまったくわからなかったと思うけど、家の中もじぶんの中もめちゃくちゃで、毎日しんどくてしんどくて仕方なかった。
父親が死んで、一気にいろんな枷がなくなって楽になったのを今でもしっかり覚えてる。
父親が死んだこと自体は1ミリも悲しくなかった。やっとこの苦しい場所から抜け出せたとしか思えなかった。
まぁそれも子どもだったからそうだっただけで、今ならどうにでもできたしそこまで苦しい思いをする必要もなかったんだけど、知識も行動力も皆無だったのでしょうがない。
とはいえ、最近の子どもはすごくしっかりしてて高校生とかでも普通に大人とやりとりできたり知識があったりするから、今の子たちはわたしみたいにはなかなかならないのかもしれないとか思ったり。
だからといって大人の都合で子どもを振り回していいはずはない、絶対。
というわけで、30年経って、というかもうけっこう何年も前から思ってるのは、子どものころはじぶんの苦しさのことばかり考えてたけど、今なら父親の苦しみも理解できるな、ということ。
もう本人に聞かなくてもわかる。
きっと彼は絶望してた。
希望なんて欠片もなかったんだろう。
そんな状態でただ生きてるというだけのにんげんの精神状態なんて想像するのは容易すぎる。
実の子どもに「死んでくれてよかった」と思われるなんて耐えられないよな。
彼は運がなかっただけだ、たぶん。
あのときを今の時代でやり直せたら、もっとマシに過ごせた気がする、家族全員が。
そう思ったりもできるようになって、当時は悲しくて泣くみたいなことも一切なかったけど、むしろ今彼のことを思い出すとつらい気持ちになったりする。
いいひとだったんだ、本当は。
周りのひとたちからも優しくていいひとだって好かれてたのを知ってるし。
ただただ、いろんな運がなかった。
もしそういうあれやこれやをジャンプして、今老人になった父親がここにいたら、仲良くできてた気がする。
今のわたしならお酒飲みながら彼と向かい合って、昔のことを笑い話に変えて、将棋したりオセロしたり花札したりできたんだけどな。
人生、ままにならないこともたくさんあって当然で、じぶんのしたいこともできず、そうなりたい理想に近づけなかったりもして、もやもやする時期は誰にでもきっとある。
ここ数年はわたしも特にそう思ったし、この夏以降は何もかもを諦めて過ごしていたので、今やっとまた少しずついろんなことができるようになってきたことがとてもありがたい。
今したいと思うことをする。
そう決めてできてなかったことにも手をつけ始めた。
まぁ最近は仕事が忙しくてそれにすら時間を割けないでいるけど、いつでも時間ができたときに楽しめるように目の前に用意しておいてるんだ、と思うことにした。
その究極のところにあるのはわたしの場合ギターで、これはもう近いうち必ずじぶんの欲しいものを手に入れてちゃんと練習するんだと決めている。
これまではひたすらお金が流れ出ていくだけだったけど、たぶん、ここからはある程度余裕が出てくるような気もするし、そしたらちょっとまとめて休みをとってひたすらのんびり過ごす時期を作ってもいいかもしれないな、などと思ったり。
でも先日どうやら某レーベルの仕事を誰よりも受けてるのはわたしだということがわかってしまった以上、休んだらわりと迷惑がかかるんだろうなという想像もできて、簡単には実現しない気もするけど。
今年は特に、子どものころから好きだったミュージシャンたちが次々とこの世を去っていって、にんげん何歳でどうなるかなんてわからないしどうにもできるもんじゃないんだとつくづく感じてるので、したいことはできるうちにやっておかないとだめだと痛感したのだった。
若いときはそういうことを冗談みたいに口にして、遊びに行く言い訳にしてたけど、この歳になると冗談じゃなくなったなという感じ。
まぁでも正直、したいことはそれなりにしてきた自覚があるし、じぶんにしかできない“愛猫を看取る”という仕事もやりとげたし、もういつどうなってもたいした悔いはないとも言える。
じぶんひとりいなくなったところで、特に誰にも迷惑はかからない状態にはなった。
などということを、ふと投げかけられた親戚からの質問をきっかけにつらつらと考えてみたり。
そういえば、昨日の朝いつものように白湯を飲みながらストレッチしてたら、ホットカーペットの端っこに猫のひげを見つけた。
このひと月、何度も掃除してきたのに、こんなに立派で元気なひげが落ちてるなんて、と驚いて、拾い上げて首輪などと一緒に保管した。
いまだに毎日家の中を移動するたび、ここを開けても猫は来ない、と何度もじぶんに言い聞かせて覚悟しながら過ごしていて、「想像してたより全然平気」なんて思ってたじぶんのことを嘲笑ってる。
あほか、しっかり病んでるわ。
大人ぶって落ち着いたふりしてるけど、本当はさびしくて悲しくて仕方ない。
あんなにちっちゃい生き物が、うちの暮らしの中心であったことは間違いなくて、いなくなったからといって急に考えることをやめるなんて無理だった。
こればっかりはほんとにただ時間をかけて慣れていくしかないんだ。
なんだかちょっと凹み期っぽいどんよりさがあるな。
でもここひと月ほぼ毎日体によさそうなものを摂取したり、筋トレしたりしてるおかげで体の調子だけはいい。
夏の間に溜めてしまった脂肪がだいぶすっきりしてきて、腹筋がちょっと固くなってきたのがうれしい。
どうせ生きてるなら健康で、鏡を見て絶望しないじぶんでいたいしね。
さて、引き続きがんばろう。