今朝、うちの猫が元気に走り回ってる夢を見た。

なぜか、昔うちに猫生最後の数年居候して病気で死んでしまった姉の猫も登場して、ふたりで家中走り回って、隙間から外に出てはわたしがなんとか追いついて捕まえて家の中に戻し、またすり抜けて逃げられる。そのくりかえし。


夢の中のわたしは「ごはん処分しちゃったからあげられるものがないよ」と思ってたので、猫は死んだはずだと理解はしているんだけど、困ったな困ったな、と言いながら母に「お供え用に残しておいたごはんどうした?」とか聞いて、それすらも捨てられてしまったことに軽くキレそうになるのであった。

(「それすらも」と書きたくなるあれやこれやがそこまで色々あった設定)


ふたりともまるまるしてて元気そうに走ってたけど、途中立ち止まって吐いたりして、あぁ、やっぱり具合悪いんだ、と心配になって背中を撫でてあげて。

また逃げられて。


そんな感じで「元気な姿が見られてよかった」という純粋に喜べる夢ではなかったけど、でも会えてよかった。

しかしほかにも歴代のうちの猫たちがいるのに、なぜ姉の猫が出てきたんだろう。

もしかして、あいつも陰キャだったから向こうで気が合っていっしょにいたりするのかな。

だったらおもしろいな。


などと思えた今日は、猫がいなくなってちょうどひと月の日。

ひと月前の苦しさと比べたらもちろんマシにはなってるけど、「もう全然だいじょうぶ」と言ったら嘘になる、くらいの感じだ。

まだまだまだまだ家に猫がいないのが不思議なことには変わりない。

母もわたしも猫の出入りのために家中の戸を少し開けておく習慣なんかは普通に当たり前に続けてしまってるし。

暖房してるから換気にはいいんだけど。


猫のトイレがあった洗面所のドアも、もう開け放しておく必要がないのにいまだに開けっ放し。

傍から見たら変なんだろうな。なんでここ開いてるの?って。


まぁ人間、そんなに簡単に切り替えられる生き物ではない、ということだ。


猫関連で言うと、腹が立つというか謎というかまったく腑に落ちないことがひとつあって。

どうせ毎日手を合わせるし、と思って猫の写真を人間の遺影を並べてるんだけど、あるとき親戚が来たときに、「人間と動物の神様は違うから並べるべきではない。そんなことは常識だ」とか母親が言われたらしく、素直に写真もお供えしてた猫のごはんもそこから下げた、ということがあった。

わたしはその話をあとで聞いたのでその場で親戚と話すことはできなかったのだけど、正直「なんだそれ」と思ったのだった。


常識ってなんだ。

他人に迷惑をかけるようなことなら常識を持つということが大切に決まってるとは思うけど、ひとの感情まで「常識」で否定する権利がいったいどこの誰にあってよいというのか。

わたしと母が大事にしてきた猫の写真をどこに置こうがわたしと母の勝手だろう、ほっといてほしい、と心底思ったけど、身内と闘って得することがないという常識は知っているので、ここに記すにとどめることにする。


ていうか何日も前に言われたことなんだけど、今思い出しても新鮮にむかつくな。

わたし地雷踏まれたんだな。

これから先、価値観の違うひとに似たようなことを言われて苛立ったり悲しくなったりすることもあるかもしれないけど、それもまたじぶんの価値観でしかないのでしっかりコントロールしよう。




どんなに公正につきあっても悔いは残るので、わたしだったら「後悔が少ないように」という表現にするかもしれないとは思うけど概ね同意。

さて休憩終わり。
今回の案件はシリーズ17巻目。
もう何度も何度も担当してきて、1巻から資料が揃ってるので勝手知ったるといったところ。
ここ1年ほどはほぼ全作担当させていただいてる気がする。
ぜんぶ気づくつもりでがんばる。

急に気温が下がってまいりました。
風邪などどうぞお気をつけて。

どうでもいいけどスクワットしすぎて筋肉痛。