さっきまでよく晴れてたけどどんよりしてきた。
明日は全国的に大荒れらしい。
一昨日は休みになったので母をつれてとなりの市まで足を伸ばして山のほうに行って景色を眺めたり観光施設を散策したり水鳥を見に行ったりした。
虹にも遭遇できたりして、なかなか良い一日だった。
めずらしく母にも「今日は楽しかった」と言ってもらえた。
昨日は仕事が届いてはいたけど、もういい加減我慢できなくなって髪を切ってもらいに行った。
ひたすらタイミングを逃しつづけて相当ごぶさただったので、スタッフが何人か入れ替わっていて別のお店に行ったみたいだった。
同じ高校の同い年のひとりは辞めてしまっていて、あのよく通る騒がしい声が聞こえないのをさびしく感じたりして。
今回はもうひとりの同じ高校卒のひとが担当してくれたんだけど、高校時代クラスも遠く離れてたしほぼ関わりがなかったので、会話も最小限な感じで、この美容院ではめずらしく静かにのんびり過ごせた。
毎度行くたびに、ひたすら誰かしらと話してぐったりして帰宅していたのでかなり新鮮。
でも少ない会話のなかで、彼女が言った言葉に納得したこともあった。
お互いにこの仕事をいつまで続けるか、という話題のなかで出てきた、
「鏡を見てじぶんの顔が見たくなくなったら辞める」
というもの。
ひとをきれいにする仕事なのに、じぶんの容姿を一定のレベルに保てなくなったら何を言っても説得力がなくなる、ということらしい。
わかるなぁ、と思った。
じぶんが年々消極的になっていくのも、じぶんに自信がなくなったからだと考えてたタイミングだったので余計に。
昔は年齢とか容姿とか、そういう外側のじぶんのスペックにそこまで劣等感を抱くことがなかったので恐れを感じることなくわりと何事もガンガン行けてたけど、もうそういうものが今はないという自覚があるので、じぶんと関わることで誰かにとって何かしらのメリットがあるとは思えない。
増えていくのは負の要素ばかりで、そんな話をしたところで共感してもらえるとも面白がってもらえるとも思ってないし。
もう終わってるんだよな、ほんと。
そういうことを彼女と話しながら、頭の中ではある曲が流れていた。
いつの間にか僕らも 若いつもりが年をとった
暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ
この曲を作った当時のOさんなんて今のわたしよりだいぶ年下なのに、なんでこんな詞が書けたのか。
当時は彼らの心情そのものを歌った詞だとしか思ってなかったけど、今聴くといろんな世代のいろんな状況のひとが共感できる詞だなと思える。
現実に今のわたしに刺さってるし。
ていうか、時を経て彼らは実際「君は僕を忘れ」て、「その頃にはすぐに君に会いに行け」たんだな。
てことはこれはある種の予言の歌かな。
などと。
まぁそんなこんなでうっすらほの暗い気持ちになって、髪はばっさり捨ててすっきりして帰宅した。
いつもほどではなかったけど、案の定やっぱりすさまじい疲労感で、帰宅してしばらく何もできず仮眠。
起きてから夜中まで仕事した。
今日もさっきまで集中して50ページ作業。
ここから夜まであと50ページ絶対進める。
こう言っちゃなんだけど、わたしにとっては全く得るもののない内容なので、とにかく無感情で淡々と作業できる。
今のじぶんにはありがたい案件だ。
朝も夜も歌いながら
時々はぼんやり考える
君は僕を忘れるから
そうすればもうすぐに君に会いに行ける
