何十年も前、この曲が好きだったことを思い出させてもらえた昨日はこの方たちの日だったらしい。
だから見に行ったというわけではないんだけど。
たまたま昨日はそこに行く日で、たまたま昨日がその日だった、という。
目の前でひとが楽器を演奏している、という場面に、今までわたしは何度遭遇してきたのか。
初めていわゆるバンドのライブに行ったのは、たぶん中学生とかで、姉についていったんだった気がする。
つい先日亡くなった、偉大なるボーカリストのいるあのバンドが初。
その前に数回、地元に来た超有名アイドルのコンサートにもつれられて行った記憶はあるけど、小学生とかで何がなんだかわかってなかった。
高校に入って同じ趣味の友人と関東に遠征して当時V系のはしりだった3バンドのフェス(とは言えないかもしれない)に行ったり、それこそもう亡くなって7年になる超個性的なキーボーディストのいるユニットのツアーに行ったりしてた。
それから今まで、音楽の趣味は少しずつ変わってきたけど、目の前で楽器を演奏してくれるひとたちへのリスペクトは変わらない。
昨日は某ソロアーティストのライブだった。
長年ツアーに必ず出向いていたアーティストのサポートに何度も参加しているひと。
超有名バンドのサポートもしてるし、テレビ番組にもレギュラーで出たりしてた、いわゆる実力派と言える彼。
何度も何度も演奏は聞いてきたけど、ソロライブは初めて行った。
きっと彼のことだから多彩なジャンルの曲を聞かせてくれるに違いないと予想はしていたけど、蓋を開けてみればそれ以上だった。
この曲のカバーは圧巻だったな。
じぶんでピアノを弾きながら歌えるって、強すぎる。
あとやっぱりこの曲。
同じ世代生まれの人間として、これを選んじゃう感じがわかりすぎて握手したくなった。
オリジナルの曲もめちゃくちゃよかったんだけど、まだ仮題しかついてない生まれたての曲とかほぼ即興みたいな曲、自主制作的なリリースしかしてないこともあって歌詞も動画もどこにもなくて載せられないという。
でも、そこにいるにんげんにしか聴けないという感じもライブのよさだと思ってるので、もう聴けないとしてもそれはそれでよい。
ほぼ思いつきみたいな状態で行ったライブのわりに、余韻がすごい。
いいもの聴かせてもらえたなぁ。
それにしても今月はかなりアクティブ。
ここ数年できなかったことをまとめてしてる感じがする。
後半もいくつか予定があるのでそれを楽しみに仕事を粛々とがんばろう。
今朝、猫の夢を見た。
なぜか同じ見た目の猫がもう1匹いて、そちらは健康。
病気のほうのうちの猫にいつものように注射しようとするけど、手にする注射器がことごとく不良品で針が外れたりそもそも針がないものもあったりして、薬の量もうまく調整できないしで終始あたふたした。
いつのまにか見知らぬ医師がうちにいて、アドバイスしたり励ましたりしてくれるのをありがたく思いつつも、どうしてもうまくいかなくて凹むという内容。
こういう夢を、これからわたしは何度も見るんだろう。
そのたびにもっとうまく続けられたんじゃないかと後悔するのだ。
看護師さんにすら「この病気をコントロールするのは本当にむずかしい」と言われたことを、3年がんばれただけでももしかしたらじゅうぶんなのかもしれないけど、それでももっとじぶんがうまくやれたらまだまだ元気に今も暮らせていたかもしれないと、もう触ることも声を聞くこともできない猫が夢に出てくるたびに反省するんだと思う。
でもこういう感情を持つということ自体が動物を飼うにんげん特有のエゴでしかなくて、端から見たら滑稽だったりすることも知ってる。
だからこれを外で出そうとは微塵も思ってない。
ふと襲ってくるじぶんだけのしんどさだという意識を常に持っていく。
それ以外は坦々と、たまに楽しく過ごす。
今日からもそういう感じでいく。
SNSを眺めていたら、ずっとフォローしている猫飼いさんが今日から注射生活の始まりだと書いていて、ぜんぜんうまくいかず動揺している感じが伝わってきて「わかる、わかるよ」と思った。
最初のころのあの「こんな状態でこれからやっていけるのか」という不安はきっと誰もが持つ感情で、それでもやらねばならず、なんだかんだあっという間にそれが日常になるのだ。
大丈夫。やれる。がんばれ。
と心の中で応援した。
なんか、そういうひとのところに瞬間移動して、先輩としてアドバイスしたり代わりにやってあげたりしたいな。
出張皮下注射屋さんできないかな。無理か。



