昨日は丸一日全力で走り抜けた。

数ヶ月前からチケットをとってあったライブ。

猫がいよいよ、となったとき、さすがにこれは行けないなと一緒に行く予定の友人に一度はキャンセルすると伝えたのだけど、結局はあんなことになって、それはそれでこんな状態の母を置いて今行くのはどうなんだとかなり迷った。


でも霊園に行ったり猫のものを片付けたりして3日経ったら、気持ちを上向けることをしてもいいんじゃないかと思えてきた。

こういうときどれだけの期間沈んで過ごさねばならない、とか、決まってるわけじゃないし、たとえばこういうことをあとで誰かに話して疑問を持たれたとて、だからどうしたっていう話だし。


うだうだ書いたけど、結果、行ってよかった。

ライブなんてしばらく行けてなかったし、もしかしたらもう行く気になれないことになるんじゃないかと思ったりもしたけど、なんか、勝手にだけどじぶんがそこにいることを許してもらえてる感じがした。

冷静に考えたらわたしみたいな歳のにんげんがあんなとこにいるのは変だってわかってるんだけど。

変なことしてる自覚を頭のど真ん中に置きながら、それでもやっぱりこのひとたちの曲が、演奏が好きだなぁと思えたし、なによりこのひとたちが好きだなとも思えた。

ほんと普通なんだよな。なんか。

普通のひとたちが若いときからかっこつけるためにバンドを始めて、そのままずっと音楽をやってる。

それはそれで歪な感じもして、でもそうやって歪に大人になったひとたちだから面白い。



「初期の曲が好き」と数えきれないくらい言われ続けて、きっと戸惑いも迷いも苦悩もあるんだろうけど、だからって反発して最近の曲だけやるとかじゃなくて、ファンが喜ぶいわゆる初期の曲をむしろ多めに選曲していたのも印象深かった。

迷いのあとが見られた。








特にこの曲には、じぶんを見た感覚を抱きながら聞き入ってた。

いい詞だな、ほんと。




しかしライブに行けたことももちろんとてもよかったけど、それと同じくらいもしくはそれ以上に、友人と延々と話せたことが本当にありがたかった。

猫の話はほんの少し、報告するにとどめたけど、それも泣くでもなくむしろちょっと冗談を交えながら話せてるじぶんに驚いて、おお、もうわりとじぶんの中ではある程度まとめて話せるようになってるんだなと感心してしまった。我ながら。

手のひらに乗る大きさだったころからうちの猫を知っている友人も、必要以上に悲しむみたいなことはせず、とてもちょうどいい温度感で受け止めてくれてありがたかった。

これまでのことを把握してくれているひとには、必要以上に飾り立てて話すことをしなくていいんだ。


しばらく時間に縛られた生活をしていて友人にもなかなか会えなかったけど、これからはまたちょくちょく会って話そう。


そう思えたのも、また、よかった。




今日はそこそこしっかり寝て、昨日買ってきたお土産を、いろいろ話しながら母といっしょに食べた。

これから買い出しに行ったり、近くで開催されているらしいとあるイベントに行ってみたいと言われたので、様子を見に行ってみようと思う。

たぶん混んでて何もせず帰ってきそうではある。


仕事は終わっているようなもので、見直しもして、あとは考えてもなかなかいい答えが見つからなくて、時間が経ったら改めて考えようと付箋を立てた数か所をまた眺めるのみ。

それでも何も出てこなかったら、「なんか読みづらくないですか」とちょっかいを出すだけにする。


今日はゲームしたいな。

ただただひたすら勝ったり負けたりしたい。

などと。


今日はどんな日ですか。

わずらわしいことのない、穏やかに楽しい日になりますように。