午前中からお墓参りした。

開けた明るい場所で、自宅から30分くらいの行きやすい位置にある。

墓前で手を合わせながら、母が「ちゃんと来てるってわかってるかな」とか言うので、「どうかなぁ、わかるんじゃない」と答えた。

そのあと、お墓に向かって「また来るね」と声をかけた。


霊園を出てからは、ショッピングモールに母の服とバッグを買いに行ったり、お茶したり、猫の写真をスマホからプリントアウトしたり(フォトフレームとアルバムも買った)、紅葉を見にドライブしたりなどした。

母は相当疲れたようだけど、いろいろ話しながら笑いながらの時間が過ごせたのはよかった。


帰宅して、いくつも買ったフォトフレームに写真を収めて祖父母や父の遺影のとなりに置いた。

これでいつでもいっしょに手を合わせられるぞ。

我ながらいい仕事をした。

母は「思い出しちゃってつらいじゃん」とか言ってたけど、こういうときはしっかりつらさを経験して少しずつ薄れていくというのがいいんだって、なんかそういう方面のケアのプロの方が記事を書いてたので、わたしはそのひとを信じる。

わたしもそうやって徐々にならしていくつもりだし。


とはいえ、帰宅してドアを開けても待ってる猫がいないということにふたりしてだいぶ堪えた。

「ただいま」を言う相手がいない。


これが日常になるまで、どのくらいの日数が必要なんだろう。

何事も90日続ければ習慣になる的なことと同じなんだろうか。


でも、目の前にわたしより悲しそうにしてるにんげんがいるとわりと冷静になれるもので、なんとかこのひとの悲しみを和らげねばならないという使命感が強くて涙が込み上げるタイミングは早くもかなり減ってきた。

わたしの場合は気を紛らせる手段がいくつもあるというのも大きい気がする。


とか言ってもやっぱり夜、仕事を切り上げて飲み物を取りにキッチンへ向かうこの時間はかなり、胸をかきむしるようなしんどさが襲ってくる。

母が寝たあと、猫のごはんや水分補給をするのはわたしの役割で、わたしが部屋を出るたびに駆け寄ってきてくれるのがお決まりになっていたから、今日も仕事道具を片付ける段になってものすごい不安感と悲しみでぐっっっっとなった。


徐々に以前のじぶんに戻りたくて休んでいたことを再開などしてはみているけど、たまに来る大きな波に呑み込まれては息を止めて海面から顔を出し、深呼吸する。


今日もたくさん眠れるかな。

ちょっとずつちょっとずつがんばる。