午前中、霊園に連絡したらちょうどいい時間に予約がとれたので母といっしょに猫とお別れしに行ってきた。


行きも帰りも猫の話ばっかりで、うちがいかに猫中心で回ってた家だったか思い知るなど。


朝、ポストに新聞を取りに行った母が、昨日日向ぼっこさせるために敷いたマットを片付けてたら泣けてきたと言っていて、相槌は打ってたけど、何か話すと涙が止まらなくなりそうで上手く言葉が出てこなかった。


その後も母が何度もはなをかむ音がわたしの部屋まで聞こえてたけど、猫の食器などを片付けるときもきっと泣いてたんだろうな。

わたしより猫といっしょにいる時間が長かったのは間違いなく母で、つねにぴったりそばにいるのが当たり前だったわけで、たぶんこれからそれがなくなったことを実感する瞬間が限りなく何度も訪れるのは母のほうだと思う。


寂しくないように、ちゃんとコミュニケーションとっていこう。

今までその役を猫に任せっきりだったので。



しかし昨日の夜はいろんなことが不思議だった。

不思議っていうか戸惑いっていうか、正確にはどういう言葉が合ってるのかよくわからないけど。


もう朝まで起きて見守る必要もなくなったのにぜんぜん眠れる気がしなくて、結局気づいたらいつのまにか朝だった。

時間が経つのが遅いようでもあり早いようでもあって、よくわからない感覚だった。


亡くなったあと、さすがにしばらくは冷静にはなれなくて、止めようと思っても勝手に涙が流れてくる状態が続いたけど、途中からただただぼんやり気の抜けた感じと、ずっと続いてた猫を心配する気持ちがふと出てきて「あ、もう心配しなくていいんだ」と我にかえるのをひたすら繰り返してた。


わたしが部屋から出たら母の部屋から猫が出てきて撫でてもらうのを待つ習慣が癖になりすぎて、起こしちゃうのがかわいそうで部屋を出るのも気を遣う感じとか、家中の扉の開け閉めの感覚とか、なんかもう体にも脳にも染み付きすぎたそれら諸々が、もう必要なくなったということがどうしても全然受け入れられない。

それはもう時間が経つことでしか薄まってはくれないんだろうけど。


一晩中、いろんな、本当にいろんなことを考えていたけど、どちらかというとひたすら悲しみに浸るというよりはもっと現実的な、朝になったら病院2軒に連絡したあと、今日中に対応してもらえる霊園があるか電話で確認しないとな、泣かずにちゃんと話せるかな、みたいなことがぐるぐるしてた。


結局はいずれもちゃんと話せたからよかったけど、いざ霊園に行ってお別れというときに、「猫ちゃんはどんな性格だったんですか」と聞かれて母とその質問に答えてるうちに、ふたりとも泣いてしまって話せなくなってしまった。

「大事にしてもらったことは伝わってると思いますよ」などという、動物と暮らしたにんげんなら誰しもが喜ぶことを言われて、そうかなぁ、そうだったらいいけどうちの猫ははたしてどうかな、と心の中で軽く首を傾げるなどした。


最後に顔を見て撫でてあげて大好きだった耳をもにもにした。

毎日毎日触ってた耳。

冷たかったけど、感触は命があったときのままだった。

もうあの耳にも触れないんだな。


大丈夫かな、わたしたち。

これからうちの中心をどこに置けばいいんだろう。

猫と母とわたしの三つ巴でやっとバランスがとれてたのに、急にその一点がなくなったら崩壊してしまうんじゃないか。


まぁそんなこと考えても仕方ないか。

これから探り探りでバランスをとっていくしかない。



というわけで、ひとまず滞りなく無事に終わりましたとさ。

当分は気が抜けっぱなしでいろんなミスをおかしそうなので、所々で意識的にぴしっとしていきたい。


今日から病院通いをする気満々で、昨日一昨日バカみたいに仕事を進めまくってしまったので、今日は別にそこまで必死にやらなくてもいいだろう。

とりあえず眠れそうなら寝よう。

じぶんがボロボロにならないようにちゃんとしよう。よし。


では。

ありがとうございました。