一日が終わろうとしている。
猫は流動食も食べたがらず水すらも飲ませようとすると嫌がるけど、なぜか動きたい意志が強くて自力であちらこちらへ移動してはパタリと横になっている。
夏のあいだ習慣になっていた冷蔵庫前で寝るのがしっかり残っていて、何度もそこへ行く。
しかし床が冷たいので長く寝させるのも憚られてまた暖かい部屋へ戻すのを繰り返している。
あのやせっぽちでなんのエネルギーも得られていない体のどこにそんなパワーがあるのか、本当に謎。
うちの猫はすごい。
明日一日、持ちこたえてくれるかな。
なんとか少しだけでも流動食を食べてもらって動き回る力がなくならないようにしてあげたい。
というか、見ているといつ命が尽きてもおかしくない状態なのに、どうもその逆の可能性も考えずにいられない。
まだまだ生きようとしているように見えて仕方ないのだ。
弱々しさの中に紛れもない強さが見えて、生き物の尊さみたいなものを覚える。
どうなるかな。
どうなっても受け入れるよ。
わたしはというと、午後病院から帰宅したあと、1時間半ほど仮眠してその後はひたすら仕事をさせてもらった。
もっと寝てしまっても不思議じゃなかったのに、自然と目が覚めて仕事に集中できた。
いや、集中とは正確には言えるようなもんじゃなかったか。
意地とか根性みたいなものでなんとかかんとか作業したという感じかもしれない。
それでも、ついさっきまでひたすら読みまくって140ページほど進めた。
この先どうなるかわからないから、今のうちに、できるうちにやらないとと思って。
明日一日でさらに進めてできるだけ余裕を作りたい。
それにしても、今日は母の存在のありがたさを強く感じた。
いつも頼りなくて文句ばっかりここに書いちゃってたけど、今日母がいてくれなかったら絶対病院にも行けてないし仕事も進められなかった。
ひとりじゃなくてよかった、と伝えないわけにいかなかった。
つい昨日まで、「あんなに無関心でいられたら」なんて思ってたけど、母は母なりに猫に愛情を注いでいて、わたしが仕事をしている間ずっと猫を見守って声をかけたり撫でてあげたりしてた。
わたしが言わなくても自発的に。
本人も昼寝したかっただろうにずっと起きて、読めているのかもわからない本を広げて猫を見てくれてた。
わたしはアホなので、ひとりで、ひとりだけでがんばっている気になってた。
本気でじぶんをぶっ叩きたい。
そういえば、病院で先生に説明できることはないかと過去のじぶんのブログを遡っていて、いったん公開はしたものの下書きに変更したものの中に今では考えられないことが書いてあった。
3年前の今ごろ、猫の病気が発覚して、先生に「いつどうなってもおかしくない」と言われた日。
あまりに動揺するわたしに母がこう言ったらしい。
「猫はたしかに家族の一員だし、どんな治療が必要でも人間にできることはしなければならないけど、滅入りすぎてはいけない。目の前のやらなきゃいけないことを粛々とやるしかない」
びっくりした。
わたしが今常にじぶんに言い聞かせていることは、母が放った言葉そのものだった。
3年前の母、めちゃくちゃしっかりしてたんだな。
あまりにびっくりしたので、公開に戻しておいた。
ありがとうね、母。
さて、あとしばらく猫の様子を見守って、数時間だけでも寝ようかな。
さっきまでじぶんの心のざわつきを、吐き出したくて誰かに受け止めてほしくて仕方ない衝動に駆られたけど、それもどうにか収まった。
これはじぶんの闘いで、誰かに押し付けていいものじゃない。
粛々と、すべきことをする。
などと言って、また抑えきれなくなったらここで吐き出すんだけど。
独り言だから許してほしい。こればっかりは。