なんかここ数日、ここに何か書こうと思ってアプリを立ち上げるとわりと大きめな数字が目に入ってくる。

なんかありましたか。

わたしなんか書いちゃいましたか。


まあいいや。そんなこと。


いよいよ、いよいよ猫が弱ってきている。

もうごはんもほとんど食べないし、昨日まであんなに飲んでた水もあまり飲まなくなってきた。

歩き方もほんとに頼りなくて、たった数歩でよろける。

さっきあったかいブランケットに横にならせて撫でていたけど、手足が冷たかった。

暖房で暖かくしているわたしの部屋にいさせてみても落ち着かず、よろよろ出ていってしまう。

鳴き声にも力がない。

ほんとにお別れのときが近づいてるのかな。


明日母と相談して、もしかしたら病院につれていくことになるかもしれないけど、また流動食生活をしたところで持ち直すかどうかは不明。


弱っている猫を見るとどうしても心穏やかではいられない。

ドキドキしっぱなし。

それでもこれからどうなるかわからないので、とりあえず進められるところまで仕事は進めたけど、50ページほど読んだところでどうしても内容が入ってこなくなって作業をやめた。


どこにも誰にも吐き出せず、ここに書いてなんとか静めることしかできない。

ちょっとお酒飲んで感覚を麻痺させよう作戦も決行中。


さいわい今日は寝すぎなくらい睡眠はとったので、朝まで猫の様子をちらちら確認しようとは思う。


苦しい。

猫がいちばんしんどいに決まってるけど、と思いつつじぶんの苦しさを抑えられない。

もうずっと覚悟しつづけてはいるし、さっきよれよれの猫を見たときも「ついに来たか」とわりと割り切れてる感情がある気もしたけど、数分ごとに気分が変わる。


仕方ない。どうしよう。大丈夫。怖い。そのときが来たら冷静に見守れる気がする。全然そんな気はしない。


母は当然のごとくあっさり就寝済み。

わたしもあそこまで無関心でいられたらよかったような気がするけど、いや、そんなわけあるか。


昨夜、映画の帰り道に帰宅したら猫が出迎えてくれることを想像しながら、この約17年を振り返ったりしてた。

いつだって家に帰れば必ず猫がいて、ほとんどの期間はわたしに無関心だったけど、ここ1~2年ほどは駆け寄ってくるようになった。

「ただいま」と言って撫でて、ごはんをあげて。


などと書いていたら本猫がわたしの部屋の前で鳴いたので入れてあげて窓辺に乗せてあげた。

徘徊するようになってから、外に出たくて毎日何度もここに上って外を眺めてるのだ。

今日は自力でジャンプするのは難しそうなので、わたしが抱っこして乗せた。

ほんの一瞬で気持ちが変わったらしく、すぐにおろしてよろよろ部屋を出た。


こういうやりとりも、もうそろそろ終わりかもしれない。


こんなに一緒に過ごした猫は彼女しかいない。

彼女がいなくなったら、うちはどうなるんだろう。

光が、明かりがなくなることを想像するのもせつない。

でも、命には必ず終わりがあるし、小さな生き物となればなおさら人間より早くそれが訪れるわけで、そんなこと理解しすぎているほど理解しているけど、やっぱりしんどい。


このしんどさが早く終わってほしいと思う気持ちも正直心のどこかにはある。

そしたらわたしは少し自由になれる。

そう考えてしまうエゴに、絶望もする。


なるようにしかならない。

見守るしかない。

じぶんができることをしてあげるしかない。


これから朝まで、どうしようかな。