今の段階ではじぶんにとってまだ18日の続きなので「今日は」と書くんだけど、
今日はとてつもなくやる気がない一日だった。
仕事も最低限しかできてない。
それでも19日の0時を過ぎるまでは進められるところまでは進めた。
切り上げたあと、急に気持ちが沈んだ。
来てしまったか、この期間が。と悟った。
笑えるものも、誰かの楽しそうな様子も見る気になれず、ずっとずっといつか見よう、そういうテンションになったら、と思っていた映画を見ることにした。どうせ眠れないんだし、3時間くらい余裕で見られるだろうと。
とはいえ正直、気が重かった。
しんどい内容であることが容易に予想できたので。
原作は、探せば本棚にカバーのかけられた単行本がある。
長編も短編も、新作が出れば読むことにはしていたので。
でも、さっき映画を見ながら「このお話、まったく知らない」と思った。
買うだけ買って読んでない可能性がある。
まぁ、予想どおりしんどかった。
これ、別に見てもなんとも思わないひとは本当になんとも思わなそう。
というか、ひとによってはイライラするんだろうな。
わたしはきっと村上作品に対する耐性がそこそこあって、しっかりそこにじぶんを寄せに行って見ることのできる側の人間なので、この映画の伏線に次ぐ伏線、その回収、直接的には描かれていないことを想像すること、などをある程度気づけたので見てよかったと思えた。
希望、とか、喜び、とかは、全体の0.1%くらいしかないけど、今のじぶんにはそれがありがたかった。
見終わってから、この作品が何を言いたいのかずっと考えてた。
じぶんなりにはこう受け止めた、というものはあるけど、わかりやすい答えが描かれていたわけではないのでそれが正解かはわからない。
でもそれでいい気がする。
この物語そのものが、そういうことを言っているとも思えるので。
ひとり、人物像が一貫していないように感じる登場人物がいて、彼のこともずっと考えてしまった。
突発的な衝動を抑えられず他人に暴力を振るい、じぶんは空っぽなんだと言っていた彼。
だけど最後には理路整然とじぶんの感情も主人公の問題も整理して語るシーンがあって、そこにやたら違和感を覚えた。
それが考えられるなら、もっとなんとかできたんじゃないか的な。
でももしかしたら彼自身もじぶんの矛盾に苦しんでたということもあるのかもしれないな、などと思ったりもして。
誰しも、そういうことは多少なりともあるものだろうし。
どう行動すべきかわかってるはずなのに感情がどうしてもついていかない、みたいなことも。
登場人物たちが、みんな成熟していない大人だと言ってしまうのは簡単だけど、そう言ってるじぶんたちだってどこかに歪みはあるだろう。
だから認めろとは言わないけど。
誰も正しくもないし間違ってもない。
誰かにとっては正しくて、違う誰かにとっては間違ってるということもある。
そういうもんだ。
完全に朝になっちゃった。
ここからは19日だ。
猫の注射したあとちょっと眠れたりするかな。
今日もやる気が出なかったとしても、ある程度は仕事進めときたいな。
急がなくてもぜんぜん終われるは終われるけど。
今日は良い一日になりそうですか。どうですか。
しんどいことがなく、楽しく過ごせますように。
